このページでは、当サイトを閲覧された方や、個別のサービスを受けられた方、セミナーに参加された方からなどの感想や質問を受け付けております。
ただし質問内容は、身近に起こった気になる合図・お知らせの意味合い、ひも解き方を中心にお答えさせていただきます。
例)朝、車のエンジンがかからず遅刻した。ざわつく案件の意味。頻繁に起こる気になる出来事と気分。感情の扱いなどです。
また、実際の個別セッション等と違い、詳しく対話が出来る訳ではないので、あくまでも基礎的な簡易回答になります。
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(いただいたご質問等をYouTube等で取り上げさせていただき詳しく回答させていただく場合があります)











私の両親は「苦労は買ってでもせよ」「楽な道と困難な道があったら困難な道を選べ、それが成長に繋がる」という考えを持っていて、幼い頃からそう教え込まれてきました。そしてそのように生きてきましたが、楽な道を選択している人の方が楽しそうです。私は人生を全く楽しいと思えません。私も楽をしたいと思い、それを自分にも許可しましたが、未だに困難な道を選択してしまう、または困難な課題を与えられる事が多いです。
マヌエルさん、こんにちは。長山です。
確認したいのは、マヌエルさんは本当に「困難な道」を選びたいのでしょうか。
それとも、「困難な道を選ばない自分」を許せないのでしょうか。
また「楽をしてもいい」と自分に許可したのに、なぜか困難な道を選んでしまうという点は、
頭では価値観を変えても、身体や感情レベルでは、まだ「楽をすること=よくないこと」という感覚記憶が残っている可能性があります。
まずは、親から言われたことが発端でも、まだそれを選択し続けたいかどうかをご自身に問うことだと思います。
なぜなら、困難な出来事が起こることと、その困難に自分がどう「関わっている」かは分けて考える必要があるからです。
さらに「困難を乗り越えると成長する」ということと、「成長するためには困難が必要である」ということは、同じではありません。
「人生が楽しくない」という点について、「楽な道を選択している人の方が楽しそう」と記されていますが、
本当に欲しいのは、「楽な人生」なのか「楽しい人生」なのか、この二つは似ていますが、違います。
楽なことが、必ずしも楽しいとは限りません。反対に、困難なことでも夢中になって取り組んでいるときには「喜び」があるものです。
つまり「楽しい」は、必ずしも「楽」の反対にある「困難」によって失われるものではないわけです。
もし、「困難な道を選ぶことで安心している可能性」がある場合、「困難な道を選ばなくなったとき、何を失う気がするのか?」と問い、
その先にある怖れに気づけると、単に「楽を許可する」という段階から、「苦労によって自分を証明する必要がなくなる」という次のステップに進めるのではないかと思われます。
最近kengoさんのYouTubeから、長山先生の動画を見付けて観始め、メルマガ、LINEに登録いたしました。
私は20年以上借金を抱え続け、派遣の仕事をしていましたが、コロナ後遺症(倦怠感、呼吸器疾患)から仕事が出来なくなり、昨年お金の強制終了が起こり 現在行政のお世話になりながら、今年始めにパートの仕事をしています。
もう、借金に追われる事はありませんが、やはりお金の不足を感じます。
以前からあったのは「欲しいのにお金がないから買えない。」「〇〇に行きたいのにお金がないから行けない。」の状況が常にありました。それは今も強くあります。
私はずっと「無価値」「幸せになってはいけない」や、「どうせ私は…」が口癖で、友人や職場の方々から良くしてもらったり、特に友人からプレゼントを貰った時は 素直に喜ぶ事が出来ず、「私は相手になにもしてない(あげてない)のに…」とか、「お金ないからお礼が出来ない」と 貰った喜びよりも、「申し訳ない」が先に来てしまいます。
先生の動画の「レジェンド、レッテル」の動画を拝見して出てきたのは
「自分が不幸だと 罪の償い(無価値な私の存在理由)になるから安心」と出てきました。
「自分の心からやりたい事が分からない」→
「好きな事やってはダメ」と自分で禁止していた事もわかりました。
そして 去年から左肩の五十肩→右肩もなり、治ったと思ったら 今度は
左手首腱鞘炎→両手首腱鞘炎になり、対処はしたものの 改善せず現在に至ります。
3年前に 突然「絵が描きたい」と思い 描き始め、夢中で描いていたイラストが楽しみだったのに、痛みでうまく描けず 今は描いていません。
肩もそうですが、手首の腱鞘炎は空間から何を問われているのか? また、欲しいものがあるのにお金がなくて買えない。
感情を感じようとしても 落ち着かない。すぐものを食べたり スマホを観ようとする(最近は先生の動画です)
まずは どこをどのようにしてよいのかが分からなくなってしまった為、こちらに書き込みさせていただきました。
ご回答いただけると幸いです。
ぷぅさん、こんにちは。長山です。
【「自分が不幸だと 罪の償い(無価値な私の存在理由)になるから安心」と出てきました。「自分の心からやりたい事が分からない」→「好きな事やってはダメ」と自分で禁止していた事もわかりました】
と書かれていますが、この「お守り」があることで、
前に進むことを許可しない状態が身体の不調にたとえ表れているとしても、
そうだと決めつけず(あらたなレッテル・レジェンドになる)「それがただある」、と観察していくことが大切です。
感情を感じられないのダメ
お金ないのダメ
落ち着かないとき食べるのダメ
スマホに逃げるのダメ
不調の意味を解かないのダメ
等、こういったジャッジは不要で、思考が湧いてきたら今はこれ(松葉杖)が必要なときなんだと受け流しましょう。
これまで自分責めし続けたことで、どれほど「緊張」してきたか、
そして「受け取れない」申し訳なさが出たとき、「幸せになりそうになると、何を感じるだろう?」という問いに変えてみられるといいかと思います。
長山先生、お忙しいところアドバイスいただき、ありがとうございます。
先生の
【これまで自分責めし続けた事で、どれほど「緊張」させてきたか】
そう仰っていただいて、私の状態のマズさに改めて思い知らさせた感じです。
「ヤバい状態」「変えないと!」「今すぐにでもセミナーやセッション受けたいのにお金がない」等 焦り、右往左往している自分が居り、今何も出来ない八方塞がりな感じがしています。
先生からのお返事をいただく迄の間、
以前受けた事がある潜在意識系セミナーで幼少期、親に愛されないと感じ 無意識で 「不幸な自分」になる事で 母親に復讐(母親を悲しませる)するということ、「調子乗って叱られた(調子乗るな!という言葉しか覚えていません)」事から 本音を言わない事を止めていた事が分かった事を思い出しました。
(そのセミナーでは 気付いたら終わりとしか言われてません)
が、それに関しては感情が湧かない(そこはジャッジしていません)状態です。
そして今、興味のある関係で繋がってる方達と交流しているSNSで 「に行きました。買ってみました」等私とは真逆で楽しそうにしている投稿を観ては 惨めに思う自分が強調され、SNSも観なくなり、孤独感があります。
長々と拙い文章を書きこんでしまい、すみません。
まず、最初に重要なのは、自分の現在地を知ることですので、「ナニかしなくちゃ」と行動レベルを変えるのではなく、ただ観察を続けてみてください。
最近、然学のお陰でご先祖やお墓の事を考えるようになりました。そこで色々疑問が湧いたので質問させて下さい。
自分が結婚し嫁に行った場合、一番に考えるのは夫のご先祖ですか?
自分の実家がひどい問題を抱えていて、何とかしたい思いがありますが、私が率先してご先祖やお墓に関する事をやらず、長男に任せた方が良いですか?
家系図を作るのも、夫のご先祖だけが良いでしょうか?
先祖の事=「自分事」なので、自分を大切にするようになると先祖の事も自然に考えるようになりますよね。
とはいえ、先祖事に関しては、各一族によって「事情」がまったく異なりますので、
正しい「やり方」と相応しい「やり方」が違う場合があり、
一括りに全員がこうするべき、という事にはなりません。
ですので、情報が限られるこの場で「やり方」に関してお答えすることは出来かねることをご了承願います。
先生のご回答ごもっともですね。近く個人的にご相談させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
仕事から帰るとドカ食いしてしまいます。それがストレス発散法になっています。職場ではほとんど食べず、終業時には腹ペコ状態にして、帰り道で好きなものを買ってどか食いする日々です。体重は気になるのでスボーツもしなければならず、体はしんどいのですが、ドカ食いしている時間だけ幸せを感じるのでやめられません。何かアドバイスいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。
次郎さん、こんにちは。長山です。
このケースは一般的にみると、仕事でストレスさえなければ「ドカ食い」やめられるのに、となりそうですが、
「ストレス発散」のためのドカ食いが、ドカ食いで「幸せ」を感じるために「ストレス(自虐)」を無意識に望むようになる、
という「パラドックス」だとしたら、どうでしょうか。
また、「ドカ食いしているときだけ幸せ」ということは、その時だけナニをしなくて済むのでしょうか?
たとえば、役に立とうとする自分。間違えないようにする自分。頑張る自分など、
ドカ食いしているときはそれらを止められる(許される)時間だとしたら、
「食べているときにしか【許されない】ものを、日常のほかの時間にも少しずつ許せはしないだろうか?」という問いを立て、
出てくる反応(抵抗)をみてみられると、その奥にある「怖れ」に触れられるかと思います。
いずれにせよ、「本丸=本音と本心」と向き合うことが入り口となりますので。
ご返信ありがとうございます。
確かに一人で家でドカ食いしているときだけ解放された気持ちになります。今は食事をしているので他のことをしなくていい、と自分に許しを与えられます。食事が終わるとすぐに勉強や家事、運動などに時間を費やします。もう疲れました。
息子と主人の折り合いが悪く、毎日二人の口論が絶えません。これはどういったお知らせですか?息子はのんびり屋で内気、友人がとても少ないです。主人は息子が未だに仲の良い友人がいないことを普通ではないと言います。でもいじめにあっているわけでもなく、風邪でも学校に行きたがるほど学校が好きです。ただ学校以外で約束をしたり、一緒に遊びに行くような友人はおらず、誕生日会にも招待されません。主人は友人ができないのは息子のせい、良い友人関係を築こうという努力が足りないからだと言います。正直私自身もなかなか人とうまく付き合えず、仲の良い友人はいません。主人の息子に対する言葉は私の心に刺さります。普通じゃない、おかしい、かわいそうって思われてるんだなと感じて悲しくなります。上手く友人関係を築けない人もいるのにバカにされた気がして、でも主人にはわかってもらえないなんとも言えない悲しみと孤独を感じます。私も本当は友人や仲間がほしいのですが、頑張って仲良くなろうとしてもうまく行きません。人とのお付き合いになんだか疲れてしまうのです。毎日この感情を感じ続けるだけでいいのでしょうか。アドバイスいただけますと幸いです。
cocoさん、こんにちは。長山です。
まず重要なのが、『課題の区別』がなされておらず、「息子さんに友達が少ない」ということと「ご主人がそれを問題だと評価している」こと、そして「cocoさんご自身の友人関係の痛み」が一体化している点が問題だと思います。
ご主人は、「息子はこのままでは仲のよい友人ができない」という未来を見て、
cocoさんは、「私のように人付き合いが苦手で苦しむのではないか」という未来を懸念するかもしれませんが、
息子さんは、どちらの未来にもまだ行っていません。
「友達が多いことが正常(普通)で、少ない人はかわいそう」というある意味勝手な「物差し」を、家族全員がそれぞれどのように持っているのか、価値基準を認識することではないでしょうか。
これは形而下的(現実的)な「違い」を認識する単純な作業です。
ポイントは、ご主人と息子さんが口論したくなる(外に意識を向けたがる)ほど、ナニを「怖れて」いるのかです。
これはcocoさんも同様に、家族の言い争いに心奪われる(気を紛らわす)ほどのナニかを内側に抱えてらっしゃるということなので、そちらに意識を向けられたらいいかと思います。
普通じゃない、おかしい、かわいそう、バカにされたような気がする
ここにヒントがあると思いますので、自分が自分に向けている
攻撃性を見てみてください。
こんにちは。Youtubeやブログ、いつも楽しみにしています。
なぜその問題が起きているのか、に取り組むのではなく、問題を解決しようとしている自分に気が付きました。その時、ふっと一瞬ではありますが、問題を解決する必要がないんだと感じ、安心しました。
私は「ひとりが怖い。そしてそれ以上に、ひとりでいることを何とも思わなくなるのが一番怖い」という思いが様々な問題の根っこにある気がしています。それはなぜか。私の解釈ですが、「自分はひとりでいることを気にしなくなったとしても、周りからの目(あの人はひとりで可哀想など)が痛いと思うし、その他人の目に気づいていない状態が痛いと思うから」です。
たしかに自分自身はなんとも思ってないから、ノーダメージなのでしょうが、、、、。メタ認知できていない人(裸の王様のような人)を可哀想な人と思ってしまいます。
↑こちらのことを解決したいなと思った時、「ああ、私は問題が好きなんだな、解決したくないんだな」と思い、そんな自分と、この問題解決ループが永遠に続いてしまうかもしれないことに絶望感を覚えてしまいました。
問題を解決したくない、目標を達成したくないと知りながら、それでもやめられないのはなぜか、ここにフォーカスするのがよいのでしょうか?
(・・・と、こうして質問することすらも、”問題を解決したくない”が根本にある限り、意味がないのでしょうね…)
shukaさん、こんにちは。長山です。
すばらしい「気づき」だと思います。
その中で一番重要なのは、「一瞬、問題を解決する必要がないんだと感じ、安心した」というところだと思います。
その一瞬に「何が起きた」のか。そこを大切にしてみてください。
なぜなら、その直後からまた、「私は問題を解決したいと思ったと同時に、問題など解決したくないんだ」「このループが続くなんて絶望だ」と、
思考が再び問題解決を始めている点をみると分かるように、
問題が一段ずつ深くなっているようにみえます。
これだけをみて「問題が好きで、解決したくない」と結論づけるのではなく、
「問題を抱えることで得られるナニかがある」としたら何なのかに、焦点を当てるといいかもしれません。
問題解決しようとしている間は、「ただ存在しているだけの自分」と向き合わなくて済むとか、もし根底にこんな自己否定があるとしたなら、
「この問題を解決すれば、もっとマシな自分になれる」と再び走り出せます。
つまり、何もしてない自分=無価値という存在否定がある場合、問題解決は、未来へ向かって走り続けるための「原動力」にもなり得るわけです。
だから、「問題を解決したくない」というより、「問題がなくなった世界に、まだ慣れていない」のではないでしょうか?
このようなケースの場合、妄想思考のループに入りそうになったら、それはいったん存在させるが、すぐ受け流し(真に受けない)、事実に戻り「今ここ」を意識されるといいですね。
先ほど返信を送ったのですが、追加で気になることがあり、追加して再送させていただきます。
___
ご回答ありがとうございます。
問題を抱えることで得られるナニか。
放ったらかしにしなくて済む。自分のために何かやってる感覚を得られる。絶望感すらも感じたら良くなるかもしれないという期待を抱ける。
などでしょうか…。
自分の幸せのために何かやっている感覚を得られるという考えの裏には、
苦労でもなんでも何かすることでやっと幸せを得られる、という考えがありますね。ここが勘違いということでしょうか?
また、もし勘違いで、何もしなくても幸せになっていいのだとすれば、不幸を知らずして幸せはわからない、という相対の考えと矛盾しませんか?
簡単に幸せになったら、何が困るかを考えてみたところ、
「幸せが当たり前になって幸せと感じられなくなる。何も努力しなくなる。」と感じました。
では「何も努力しない私」はどんな感じか
現状維持は衰退だから、衰退していくと考えます。この「現状維持は衰退」これがレジェンドでしょうか?衰退していくというのが、勘違いなのでしょうか?
質問が多くすみません。よろしくお願いいたします。
前回、以下をお伝えしたように
【このようなケースの場合、妄想思考のループに入りそうになったら、
それはいったん存在させるが、すぐ受け流し(真に受けない)、事実に戻り「今ここ」を意識されるといいですね】
真実(解釈)に意識を持っていかれず、まずは「事実」に向き合いましょう。
こんにちは。質問させてください。
生涯未婚率の増加や少子化が社会問題となっていますが、個人的にも結婚をしないこと、子どもを持てるかもしれないのに持たない選択をしていることは、問題なのでしょうか。問題に気づいてないことになるのか気になりました。現在の気持ちとしては結婚したいとは思っていません。
子どもを持つのが怖い理由を掘っていくと自己否定(私に似るのが怖い等)からだったり、過去の恋愛でのコミュニケーションの滞りだったりも見るべきこととして気になっているのかなとも思います。
長山先生のご意見をお伺いしたいと思い、質問させていただきました。よろしくお願いします。
ひかりさん、こんにちは。長山です。
まず、前提として「社会課題」と「個人の課題」は区別する必要があります。
少子化は社会全体から見れば、人口構造、社会保障、労働力などに関わる社会的課題です。
さらに、事象そのものに「フォーカス」するのではなく、
現象を通してナニに引っかかり、抵抗しているのかをみていくのが、シンボルランゲージ(合図を解く)のコツです。
然学は、「~べき」とか「選ぶ/選ばない」に善悪・正否はなく、
その必要性(レジェンド・レッテル)や隠された意図(目的)を考察して、意識の構造を理解していく学びです。
それを踏まえて、
社会問題に関わる自身の課題に対して「罪悪感」や「責任」を感じること自体の奥にある「怖れ」をみていくことが大切です。
「現在、結婚したいと思っていない」という自分の気持ちは、そのまま存在させながら、
「結婚したくない」という結論と、「なぜ結婚したくないのか=背景に自己否定」は別に捉えたらいいと思います。
同じ「結婚しない」という選択でも、「一人で生きることが自分には心地よい」という人もいれば、
「傷つくのが怖いから、人と深く関係したくない」という人もいます。
「子どもを持たない」についても、ひかりさんのように「私に似るのが怖い」という場合もあれば、
「子どものいない人生を望んでいる」という場合もあります。
大切なのは、どちらが正しいかでもなく、「恐怖から選んではいけない」ということでもありません。
むしろ、「これは自分の望みなのか、それとも、怖さによって選択肢そのものを見ないようにしているのか」を、自分の中で区別してみることです。
内面を観る目的は、結婚する方向、出産する方向などへ自分を修正(コントロール)することではなく、
「自分の選択を不自由にしているものがある」なら、それに気づき、「怖いから選べない」という縛りから、「選べるけれど、今、自分はこれを選ばない」と選択の自由へと移っていくことが重要です。
いずれにせよ、この課題以外にもし、ひかりさんが「100:ゼロ」思考になっているものがあるとしたら、極から少し自由になり、「自分の人生は自分で選べる」ということを意識されたらいいかと思います。
長山先生、ご回答いただきありがとうございます。
とてもクリアになり、すごく嬉しいです。
正しいか、正しくないかで見てしまっていたかもしれないと気がつきました。100:ゼロ思考だったんですね。他にもジャッジしてしまっていること、たくさんありそうです。
多分、自分の生き方を否定されることが怖い、嫌だと思っているのだと思います。「自分の人生は自分で選べる」と意識していきます。ありがとうございました。
お世話になっております。
以前から疑問に思っていることをシンボルランゲージ的な解釈としてご回答いただければ幸いです。
(いつもいつもすみません。。。。。)
ここ数年、芸能関係で性的な問題が取り沙汰されているプロデューサーや有名人がいて、
最終的にはその本人が亡くなったことによりその問題が再浮上していることを目にするようになりました。
私が見た限りではこういった社会的には悪と言われている行為を継続していても、生きている間は捕まったりしなく普通に生きている人も一定数いるように思えます。
もちろん、悪いことをしているからといってすべてが社会的な制裁として因果応報的にその人に跳ね返ってくるとは思いません。
ただ、当の本人が亡くなった後はその周りの家族や親戚が影響を受ける場合もあることから、
こういったケースの人たちというのは自分自身の一生では社会的にはなんとか逃げ切ってある程度幸せに生きたかもしれませんが、
「未処理の感情や使命」という観点からするとその人は自分の一生のうちにその未処理の感情をちゃんと処理しなかったことにより
脈々と自分の家族や子供にその未処理の感情や使命を受け継がせてしまうという解釈になりますでしょうか?
まぁこういった人たちが欠乏感からではなく純粋な動機としてそれを楽しんでいたら別かもしれませんが、そんなことがあるのかなとふと疑問に思いました。
自分が携わった人のことではありませんが、シンボルランゲージの知見を深めるためにもできる限りご回答いただければ幸いです。
ヒデさん、こんにちは。
「因果応報」的なモノの見方・捉え方に関しては、まず以下の5年ほど前の記事をご参照ください。
●『因果律』。やった、やられた説に振り回されるな!
https://symbollanguage.jp/2021/07/29/1-68/
モノゴトを捉える時、「分離意識」や「1対1」という部分だけで見ると混乱(錯覚)が生じると思っていて、しかし、それも体験として考慮しながら、全体性で観ることも同時にやっていく必要があると思っています。
全体性でみると、すべて「関係性」で捉えることができますからね。
なので、空間の関係性(関係している人たち)、時の関係性(世代を超えて)を含めてモノゴトを観ていかれるといいかと思います。
ご返信ありがとうございました。
う~ん、この内容は今までのシンボルランゲージの内容の中でも上位に難しいですね。。。。
逆に言うとこの全体性と関係性を自分の中に落とし込むことができれば、また次のステージに行けそうな気がします。
そして理論やロジックだけはなく、日々のお知らせや体験を通じて理解を深めたいと思います。お忙しいところありがとうございました!
先日個人セッションで、夫との関係について相談させていただいた者です。自分との関係が周囲の関係性にも現れていると教えていただきました。
お話させていただくことで、新たな視点ができて、前向きな気持ちになってまた取り組んでいけそうです。ありがとうございました。
それで、自分はまだサインを読み解く段階では無いかな?と思いながら、気になったのでこちらに質問させていただきました。
先日、農作業を終えて帰宅してから夫が先に入浴して、その後に私が入浴する際に、ムカデ(ヤスデ?)が浴槽に沈んでいました。めったにそんなことがないので、何か意味があるかな?と思いこちらで質問させていただきました。
またムカデで印象的な出来事が以前あったのですが、壁側のコンセントの穴に、ムカデが刺さって死んでいたことがありました。
先生ならどう読み解かれますか?
よろしくお願いいたします。
Tさん、こんにちは。長山です。
ムカデをみて、何の意味か?と考える前に、どんな反応がTさんの内側に生じたかが大切です。
そこで湧いた感情や思考が、それまで続いて起こっている事に対するメッセージの「入り口」になります。
以前にもあったムカデの出来事も、合わせて体感してみられると、つながっているテーマかもしれませんので。
ご回答いただきありがとうございました。
出来事で内側に生じた反応、感情、思考が入り口。
やってみます。
こんにちは!
主人が、この数ヶ月仕事で上司や仕事の変化があり、自責の念にも苛まれているようで、たまに何やってルナか分からなくなり仕事中手が止まったり泣きたくなったり。いま心療内科にも自主的に行き始めたところのようです。それと同時に、左肩の痛みがあり、しばらく整体に行っていましたが、今度は腕の微弱な痺れもでてきて、1ヶ月ほど続くので来週整形外科に行くようです。
何かサインとかあるのでしょうか。宜しくお願いいたします。
t.mさん、こんにちは。長山です。
基本、合図(お知らせ・サイン)とは、当人に必要で起こっている徴(しるし)なので、
ご主人に起こっている現象はご主人の内面の「反応」を基準にして「ひも解き」ます。
よって、t.mさん自身としては、このようなご主人の状態をみて、【あなたが】ナニを感じ、どう思考しているのか、
また、ここ最近のその他の現象やご自身にも起こってるであろう諸々を含めた「全体像」を背景に考察されるのがいいかと思います。
仕事のことで主人にアドバイスを求めることがあります。少し年上の主人はいつも的確なアドバイスをくれ、とても頼りにしています。それなのに、ここ最近、主人のアドバイスに納得がいかず、終いにはイライラして文句を言ってしまいます。昔のように素直に聞き入れることができません。これはどういった合図でしょうか。少しアドバイスがほしいだけなのに、私のアイディアやプロジェクト自体を否定されている気がして、イライラしてしまうのです。これは、人に頼らず自分で判断せよということでしょうか。
ゆりさん、こんにちは。長山です。
ご主人からのアドバイスの内容以上に、
「自分はあなたより分かっていない側に置かれた」と感じることへの【抵抗】が出てきているのかもしれませんね。
ゆりさん自身の「立ち位置」が変わってきて、以前のご主人は、「自分より経験があって、答えを知っている人」だったのかも、とかです。
そして、自分のことを「分からないから教えてもらう人」という体の関係性が長いことうまく機能していたのが、
今は仕事やプロジェクトについて、自分なりの考えや方向性が以前より育ってきたのではないでしょうか。
あと、ご主人が何を言ったかと、自分はそれをどう受け取ったかを「分離」することが大切です。
結論として「依存する/頼らない」という「二択」ではなく、必要に応じて「頼るけれど、決めるのは自分」という第三の選択を置く。
つまり「人を頼るな」ではなく、「人の答えを自分の答えにしなくてもよくなってきた」という捉え方で、形而下ではいいかと思われます。
形而上では、元々あったイライラ(怒り)のフタが開き、奥にある大切なものを視ていく段階なのではないでしょうか。
いつも然学に助けられております。
私には長年、極度の【人を嫌う癖】がありました。相手の欠点を見つけては憎み、軽蔑し、即座に縁を切るのです。だから長年、孤独でした。
しかし、ある大嫌いな人の不道徳な行為を、過去自分もしていたことに気づき。同時期、ある人に初めて【嫌いでもあり好きでもある】という中庸な感覚を抱きました。
AIに聞いたところ、「その人は、白黒つけなくてもいいとあなたに教えてくれたソウルメイトですね」と言われ、なぜか涙が止まらなくなり、
その途端、今まで毎日のように呪っていた人全員を赦せるようになり、ストレスからくる身体症状も消えました。
あまりにも突然、自分の内面が180度変わってしまったのに戸惑っています。
自分が自分に「もう恨み癖は治ったよ〜」と演技をしているように思ってしまいます。
このように突然、偏りが戻って人格が入れ替わるようなことは本当に起こるのでしょうか?
モモさん、こんにちは。長山です。
おっしゃるように、それまで何十年も続いていた見え方・捉え方が、ある出来事を境に突然変わることはあります。
ただしそれは「完全に変わった」わけでも「演技でごまかしてる」わけでもありません。
重要なのは、「嫌いでもあり、好きでもある」という感覚を初めて経験したことです。
それまでは「好きか嫌い」「善いか悪い」「快か不快」という二つの極のどちらかへ決めることで、人間関係を整理してきたのだと思われます。
これはある意味、矛盾を抱えなくて済む方法であり、「不確実性」を思い込みだろうと「終わらせる」ことができる「防衛本能」なのです。
ところが今回、初めて、「この人のここは嫌い。でも好きな部分もある」という、
白黒では処理できない体験が起きたことが大きな変化です。
行為の善悪と「存在」との区別や、自分の中にある要素を他者の中にも見出す視点が少しできたことで、他者への評価が変化してきたのではないでしょうか。
人の思考や感情は、一方の「極」へ強く傾き続けると、あるところで反対側へ振れる(反転)ことがあります。
振り子が片側へ大きく振れれば、反対側へも大きく振れやすいようなもので、今回のケースは「憎しみの極」→「赦しの極」へ反転したのかもしれません。
ただしこれは、「もう誰も恨まなくなった」「すべてを赦せる人」という、今度は反対側の極に固定するものでもありません。
これでは極の中身が変化しただけで、構造は同じです。
今後は、「嫌うときもあるし、好きなときもある」という中庸意識で、
両極を含んだまま、どちらか一方に支配されない状態でいられるよう、意識されるといいかと思います。
長山先生、ご回答いただきまして本当にありがとうございます!
とても励まされました。
私は自分自身の過去の失敗は赦しているし、長所も欠点も(然学的にはそのどちらもありませんが‥)受け入れていると信じていましたが、
ここまで外側の人々を嫌っていたということは、やはり自分自身にある要素をも嫌っていたということでしょうか。
自分自身にも、「好きでも嫌いでもある」という意識で向き合っていけば良いのでしょうか?
自分自身が自覚できる認識(3%)ほど、アテにならないものはありません。
よって外側に表れている現象によって認識(97%)するしかないのですが、それを「受け取る」か「否」かで意識の拡がりが変わってきます。
「嫌う」という行為は、受け取れない(取り扱えない)モノを自分から「分離」させて一時的に処置(防御)してきたということなので、
今後は器を大きくするという意味でも、向き合って(統合)いかれたらいいかと思います。
重ね重ねのご回答、本当にありがとうございます!
理解が深まりました。
中庸意識、器を大きく‥を胸に刻んで、これからの人生を歩んでいきたいです。
孤独で頭がおかしくなりそうなのに、婚活が怖いです。動けない自分に後悔の毎日です。でも、婚活したくないのです。もう手遅れな現実を突きつけられるのもこわいし、結局幸せになれないのも怖いです。目が覚めた瞬間、また、日常のふとした瞬間に猛烈に辛くなります。この年齢で独り身であることを死ぬほど恥じています。何か突破口はありますでしょうか。何となく、空騒ぎな部分もあるとは思います。
Macさん、こんにちは。長山です。
まず、読ませていただき思ったのが、
「頭がおかしくなりそう」「死ぬほど恥じている」「目覚めた瞬間から猛烈に辛い」が、単なる比喩でないとしたら、
ここまで外側に表現したくなるほど内側に溜まってらっしゃる、という事実と、もしもそこに、眠れない、食欲がない、日常生活が難しい状態まで伴っているとしたなら、
この問題を単なる「人生論」として捉えるより、心療内科など専門家の力を借りる段階かもしれません。
であれば、婚活以前に、その「苦痛」そのものを軽くすることを優先してください。
なぜなら、このような「強迫観念」めいた不安を抱えた状態で、いくら考えたり感じたり、まして分析などしても、さらなる自己審判・攻撃が続くだけです。
なので、不安と恐怖をある程度「解放」してから、
「孤独」「結婚」「年齢」「恥」「手遅れ」「将来」が一つの塊になっている思考を、一つひとつ「分離」していくプロセスが必要です。
「孤独」だから結婚したいのか。
「この年齢で独身なのは恥ずかしい」から結婚したいのか。
「老後」が怖いから結婚したいのか。
「周囲から普通ではない」と思われることが怖いのか。
「誰からも選ばれなかった人」という自分になりたくないのか。
これらはすべて違う「問題」ですし、本質的な問いは
「自分は結婚によって何から救われたいのか?」です。
さらに「やってみたけれどダメだった」という現実によって、最後の希望まで失うことが一番触れたくないコトだとすると、
「動けない」ではなく「動きたくない」、になりますので、動けない自分を責めるのはお門違いですし、そもそも思考パターンが真実(物語)優位であるように思われますので、婚活という舞台を通して、自己評価「基準」や考え方の前提を見直されることをおすすめします。
ご回答いただき誠にありがとうございます。食欲、睡眠とも問題なく、仕事もしております。以前心療内科にかかっても、薬の処方が主で心の整理ができなかったことから、こういった根本的な問いをたてられる場を探しておりました。
9月末のセミナーにも参加予定です。(待ちきれず質問してしまいましたが)
個人セッションを申し込んで、こういった内容も質問可でしたでしょうか。それとも、まだ申し込める段階にはなっていないでしょうか。強迫観念とはまさにそのとおりだと思うのですが、不安と恐怖をある程度解放する方法がわからず…。(田舎で、心理カウンセラーさんも新規受付停止状態でして…)
思考パターンが真実(物語)優位となっているのを、まずは事実ベースで見られるように訓練していきたいと思います。けれど、もう一人相撲は嫌なので、信頼できる第三者の客観的な目を入れていただきたいと思っています。
ガイダンスマップセミナーにご参加いただける予定との事ですので、
まずはそこで、然学の「世界観」を共有した上で、個別のご相談に応じさせていただくほうが、同じ「レンズ(方程式)」を通しながらお話しできると思います。
また、ガイダンスマップセミナー参加者様には第三部で質疑応答コーナーや、セミナー終了後に15分の無料個別セッション(希望者のみ)もついていますので、もしもご希望であればその際にまたお話お聞かせいただければと思います。