このページでは、当サイトを閲覧された方や、個別のサービスを受けられた方、セミナーに参加された方からなどの感想や質問を受け付けております。
ただし質問内容は、身近に起こった気になる合図・お知らせの意味合い、ひも解き方を中心にお答えさせていただきます。
例)朝、車のエンジンがかからず遅刻した。ざわつく案件の意味。頻繁に起こる気になる出来事と気分。感情の扱いなどです。
また、実際の個別セッション等と違い、詳しく対話が出来る訳ではないので、あくまでも基礎的な簡易回答になります。
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(いただいたご質問等をYouTube等で取り上げさせていただき詳しく回答させていただく場合があります)











会社に社長のイエスマンしかいません。反対する人は辞めていきます。私はこの状況を諦めの気持ちで見ています。社長は変わらないだろうし、今後この状況を変えるような社員も上層部にいません。嫌ならやめるしかないと思っています。これはどういったお知らせですか?
鶴丸さん、こんにちは。長山です。
今の現状をみて「辞める/我慢する」の二択から少し離れて、自分が「変えられる領域」と、「変えられない領域」を分けることから考えてみるといいかもしれません。
大切なのは、「社長が変わらない」ことと、「だから自分には何もできない」ことは、別です。
また「嫌なら辞めるしかない」という「諦めモード」からではなく、「ここに残ることも、辞めることも、自分で選べる」という捉え方をすることで
同じ「会社に残る」でも、「辞められないから残っている」のと、「状況を理解したうえで、今は残ることを選んでいる」のとでは、心の状態が違います。
これは「形而下」的な対処と捉え方ですが、それを踏まえた上で「形而上」での捉え方は、「なぜイエスマンしか残らない場に、いま自分が居る必要があるのか?」という問いを立ててみてください。
デメリットと嘆きしかないように思える中で、隠されたメリットが見えてくるハズです。
長山先生、こんにちは。私は自分のこの先の人生に希望が持てません。歳を重ねるごとにますます希望がなくなります。AIの台頭でこの先仕事もなくなる、シミや白髪は増えるばかり、老眼、体力の衰えも考えると、全く長生きしたくありません、。結婚や誕生日などのニュースを耳にしても、どうせこの瞬間が楽しいだけで、人生は辛いことばかり、叶わないことばかりなのに、何を楽しめばいいのかなどと考えてしまいます。鬱かもしれませんが、なにかアドバイスいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
cpさん、こんにちは。長山です。
「この先の人生に希望が持てない」とのことですが、「人生そのもの」に絶望しているというより、これまでご自身を支えてきた「希望のつくり方」が機能しなくなっているのではないでしょうか。
なのでまず「希望を持たなければいけない」と思わないほうがいいかと思います。
なぜなら、cpさんが失いつつあるのは「人生」ではなく、これまで持っていた「これがあれば幸せになれる」と思っていたものなのかもしれないからです。
若さ、仕事、元気、必要とされる、など夢が叶うことを一般的に「希望」と呼びますが、それは未来があることが前提です。
ところが歳を重ねると、それまで増えていくと思っていた希望が減り始めます。
すると「これから何を楽しみに生きればいいのだろう」という疑問が出てきますよね。
しかし「希望」の裏には「まだ足りない」という前提が必要なので、
希望とは「現在の不足」とセットになっていて、叶ってもまた次の「不足」が生まれるしくみです。
なので、このタイミングで「何かを得ることで幸せになる(錯覚)人生」から、
「今ここにあるものを味わう人生」への転換点にされたらいいかと思います。
また「どうせこの瞬間が楽しいだけでしょう」と感じることに対しては、「この瞬間しか楽しくない」のではなく、人生にはもともと「この瞬間」しかないので、「今ここ」意識でいられたらいいですね。
「人生に希望が持てない」なら「いったい何に絶望しているのだろう?」と、一度じっくり問いかけてみられると、漠然とした不安より明確にすることで、心が軽くなる場合もあります。
ただ、鬱状態かもしれないとなると、未来を実際以上に暗い方向でしか想像できなくなることがありますので
その場合は「人生についての結論」を出す前に、
形而下的には心療内科など専門家の力を借りてみられることもおすすめします。
不倫をする目的って結局何ですか?
坪井さん、こんにちは。長山です。
これは「不倫」に特化したものではなく、すべての(良からぬと言われている)行為は、それによって「当人は何を満たそうとしているのか」「何から逃れようとしているのか」を視ると「目的」が分かってくると思います。
つまり行為の責任(形而下)と、行為を生み出した背景(形而上)はキッチリ「分けて」考察するということです。
そのうえで「不倫の目的」をみるなら、「現在の自分では得られなくなった生命感覚を、別の関係を通して取り戻そうとすること」とも捉えられ、
「相手を欲してる」のではなく、「相手といるときの自分」が欲しいわけで、不倫相手を求めているようで、それによって呼び起こされる「自分」を求めているという認識になります。
この関係性は普通の恋愛でも言えることですが、それが不倫関係となると、後ろめたさという「自虐」や隠すという「刺激」が伴います。
あとは、不足を外側で補うという構造です。レジェンド・レッテル動画で解説した例(浮気・不倫)でも述べましたが、
自己価値の欠損(自己不信)→ 他者から求められる→ 自己価値が回復する(錯覚)
という補償(穴埋め)にもつながります。
いずれにせよ「松葉杖」には変わりませんので、行為そのもので悩むより、それを必要としている内面に目を向けられ「テーマ」として視ていくと、360度同じテーマに囲まれていることが分かってきます。不倫はその「ひとコマ」に過ぎませんので。
長山さん、よろしくお願いします。
以前、職場の人が挨拶をしないという悩みを相談させてもらった者です。
休みの日も会わなくて済む安心感はなく、ずっとその人の事が頭から離れない日々を過ごす中で「なぜこの体験が必要なのか」と問いを立てていましたが、相手に仕事を頼んだ所、返事もしない状態になり「なぜ返事をしないのですか?」と聞くと「いつも上から目線なのが気に入らない」と言われました。
偉そうというのは、私も相手に思っていた事なので「お互いにそう思っているんだな」という事は分かりましたが、合わせ鏡として、自分が自分に対して上から目線という意識が、自分の中で思い当たりませんでした。
返事をされなかった時は、瞬時に手が震えるほどドキドキして怒りが湧いてきましたが、今はボーッとしてあまり感情を感じません。
これはどんな状態なのでしょうか?
高橋さん、こんにちは。
「お互いそう思っているんだな」ということが分かった、とのこと。この共振共鳴の「合わせ鏡」原理を実感したわけですね。
外に向いていた(相手に問題があると思う)ベクトルが内側に向かい出したので、ここから次のステップです。
「自分に対して上から目線」はどこか?は、今は考えず、その場面で湧き上がる、手が震えるほどのドキドキを受け取り、その感覚を身体に通過させられるといい感じです。
これに「抵抗」があると、ボーっとして感情にフタがされるのだと思いますので、まずはできる範囲で体感してみてください。
お返事ありがとうございました。
面と向かってそんな事を言われ、その日は眠れず、よほど堪えたようです…
確かに今の自分に対して自己否定(攻撃)しているなという自覚はあるのですが、もう顔を見るのも嫌になってしまい、出来るだけその人と会わないシフトに変えてもらいました。
私は昔から幼児性が強く、嫌な事から早く逃げようとする癖があり、今回も「また逃げてしまった…これでは問題が終わらない」という恐怖と「今は向き合えないよね、逃げても良いよ」という両方の思いがある状態です。
いつもお世話になっております。
Youtubeを毎日聞き、勉強させていただいております。
個人セッション、ホロスコープリーディングもありがとうございます。
教えてほしいことがあります。
25歳ごろから、脱毛がはじまりました。
女性で年齢の割には急に薄くなり、そのあと病院に行きましたが
自己免疫疾患だといわれました。(自分を攻撃している)
今は定期的に頭皮に注射をして、普通に過ごすことができています。
そこから出てくる感情は、恥ずかしい、どうみられてるかな?雨に濡れたらいやだな、ごまかさなきゃです。
他人から髪の話題が出たり、他人から髪を触られるのがとても苦手で美容院には年に1,2回しか行けません。
また、昔からとても血管が細く点滴をする際にも
とれない、とれないと言われて先生を何度も交代したり
入れた点滴が血液から漏れて、何度も刺しなおしたりして腕が腫れることがありました。
(昨日も点滴で血管から漏れ、腕の関節付近が腫れました)
注射は苦手で、いつも目をつぶっています。
どんなサインでしょうか?教えてください、よろしくお願いいたします。
asaさん、こんにちは。
脱毛が、医師から「自己免疫疾患(自分攻撃)」と診断されたように、自己受容がカギということは理解されておられると思いますが、そのあたりはどのように取り組まれていますか?
また、血管が細いこと自体の「意味」より、
それによって起こる現象(何度も注射される等)への「抵抗」に意識を向けてみらたらいいかと思います。
いずれにせよ、常に身体が「戦闘モード」にあることは確かなようなので、
このような常時の場合「緊張」をやめさせようとしないことです。
「リラックスして」とか「考えすぎ」といわれて、
すぐ「ゆるめ」たり、「考えを手放せる」ものでもありません。
なぜなら緊張は、asaさんにとって単なる厄介な癖ではなく、
「緊張していれば、何か起きても対応できる」という安全確保の方法になっているから、
ゆるむ=「緊張を解く」コトそのものが「怖れ」になってしまいます。
まずやることは「この【警戒システム】はどんなときに作動するのか?」という問いから始め、観察を深めることです。
そして「闘わなくていいよ」と身体に言うより
「闘ってもいいが、その闘いが終わったことを身体が分かるように訓練していく」といいと思います。
長山先生はじめまして、お世話になります。
他の方の質問欄で大変申し訳ございませんが1点質問よろしいでしょうか?
自律神経系の疾患が約6年続いており、常に身体が「戦闘モード」にあります。
上記の長山さんの返信にある、
そして「闘わなくていいよ」と身体に言うより
「闘ってもいいが、その闘いが終わったことを身体が分かるように訓練していく」といいと思います。
の「闘いが終わったことを身体が分かるように訓練していく」とは
具体的にどのようなことなのでしょうか?
休職して退職となったのですが休職後の方が眠れなくなりました。
約1年仕事をしていませんが、毎日睡眠時間が4時間ほどです。
会社に入る前から体調は悪かったのですが
休職前にかなり迷惑がかかることをしてしまい(複数回)、それがトラウマになってしまった可能性があります。
頭にその出来事が出てくることが多いです。
過去にしてしまったことをずっと責めているのだと思います。
長山先生よろしければ、ご意見をお伺いできないでしょうか?
siroさん、こんにちは。長山です。
「身体が分かる」とは、頭で「安全だ」と理解することではなく、身体が実際に警戒を解除しても大丈夫だった、という経験を積むことです。
頭は「闘いは終わった」と知っていても、身体はまだ戦場にいる感覚のままだと、いつまでも戦闘モードが解除されません。
大事なのが「何も起きなかった」を味わうことです。
常に戦闘モードの方は、「何か起きた」ことには非常に敏感ですが、「何も起きなかった」ことをほとんど認識していないことがあります。
たとえば「人に仕事を任せてみた」→ 問題は起きなかった。
「断ってみた」→ 関係は壊れなかった。これを身体に体験させてみることです。
まずは、そのあたりから取り組んでみてください。
こんにちは。ここ数年ずっと続いている体調不良のことでご質問です。
コロナに罹患してから体力が低下し、エネルギーがなくて普段の生活に戻れなくなりました。また、身体がガチガチに固まってしまい長く歩けません。
自然の法則を知り、自分の感情や身体のつらさと向き合うことをできるだけ続けていて、これまでずっとすごく緊張して生きてきたことに気づきました。その奥にある人から認められたい思い、幼少期の経験から来る、そうでないと自分の存在が消えてしまいそうな怖さや惨めさなどにも向き合い、さらに隠れたメリットと思われるものも洗い出してみたのですが、現状はほとんど変わりません。体調を戻すためにこれらを行うという動機も、完全には難しいですがなるべく手放しています。できそうなことはやり尽くしたように思えてしまいます。この先さらにどうすればよいのかアドバイスをお願いできますか?どうぞよろしくお願いいたします。
三日月さん、こんにちはお久しぶりです。
一年半前に「コロナ罹患から2年経ち」というご相談を受けてから、現在も改善されていない(つまり3年半)ということですね。
自分なりに自身と向き合っておられるようですが、自分の事を自分が知るというのは、水の中に居る魚が「水って何?」という状態と同じで、そこには「限界」があります。
まず「水から出るコト」が必要です。いったん「身体の不調をナンとかする」抵抗意識を手放すといいでしょう。かといって無視したり、開き直ってあきらめるというのではなく、ただ観察していくということ。
すると「改善」を目指して治そうとすることに使われたエネルギーが解放され、その余白に注がれる「ひらめき」を受け取っていけます。それが今後の道しるべになるかと思います。
お返事ありがとうございます。まずは、だいぶ前に質問させていただいたことを覚えていらしたことに驚愕でした!素晴らしい記憶力をお持ちなのですね。アドバイスもありがとうございます。自分でいろいろ取り組んでも、なかなか盲点に気づかないものなのですね。また、手放しているつもりでも、早く治りたい気持ちが強く、そこに思いの外エネルギーを注いでいることにも気づけました。このまま人生が終わってしまう恐れは根強いですが、それもただ観察しつつ、しばらく先生がおっしゃる余白を作るような過ごし方をしてみます。ありがとうございます。
長山先生はじめまして、お世話になります。
ある日の朝、子供を園に送り出す時に、いつもとは違うルートで出掛けました。
その時に、自転車に乗っていましたが老人男性に話し掛けられ『今からどこ行くの?』等たずねられました。
初夏でほどよく暑いのに長袖長ズボン、ヨレヨレの服、ズボンのチャックは開いていて、髪ボサボサ、髭が伸びたまま。
会話に応じていましたが、埒が明かない感じでしたので家はどこか、家族はいるのかとたずねて、おうちへ戻るようナビゲートしていたところ、介護施設の送迎車が来て、職員さんにお繋ぎしました。
何か、まずいものに出くわしたような気分になって、さっさとその場から逃げようと思い一旦は離れたのですが、
いや、そんなに逃げたかった訳でもないし、何の危害も加えられなかったし、親切にしてあげたかったなと思い返し、せっかくだから送迎車に乗るところまで見届けてあげようと、引き返しました。
そしたら、そのおじいちゃんの向かいの家に住んでる奥様が外まで出てきていらして、このご老人の普段の様子(近所では有名で、朝方よく徘徊している等)を教えてくださいました。
『このお話を教えてもらうために引き返したのかも知れないな』と思い、大変ありがたく思いお礼を言って離れました。(そのおじいちゃんは送迎車に乗るまでにも時間がかかりそうでしたし)
子供を園に送ってからも、あの出会いは何だったのかな、と思う一方、思い当たるふしがありました。
いま求職活動中なのですが、その関係で面接を受けていて、このご老人と接触する数日前に、『社会貢献したい』『人の役に立てる仕事がしたい』と口にしていたのです。
おじいちゃんはわざわざ私に話し掛けてきて私の願望『誰かの役に立ちたい』『何でも良いから人に頼られたい』を叶えてくれたんだな、と思ってしまいました。
願いは、こんな形で叶っちゃうのか?と思って感動すら覚えました。
しかし、一般的な感覚からすれば『ボケたおじいちゃんに話し掛けられて、何とも厄介な目にあわされた』というのはトラブルの1つであり、何か大切なことを見落としていますよーというサインだとも考えられます。
『願いが叶ったんだな、メリットを享受したんだな』と先に思い付いてしまい、何を見落としているのか、の検討が深まりません。
また波長の法則とも言いますが、私はこのボケたおじいちゃんと波長が釣り合うから引き合わされているんだな、と考えると、ちょっと残念な気持ちにもなります。
長山先生よろしければ、ご意見をお伺いできないでしょうか?
長文すみません、よろしくお願いいたします。
Yuiさん、こんにちは。長山です。
「願いが叶った」のと「厄介な目に遭った」が同時進行で起こった、というのが今回の現象ですね。
これはyoutubeにアップされている「問題の定義」前半動画にある「然学メンバーYくん」の体験談で説明しているケースと似ています。
ナニかを犠牲(イヤな事)にする歪んだ願望成就のカタチかもしれません。
そもそも「人の役に立てる仕事」がナゼしたいのでしょうか?
もし背景に欠乏感がある場合、行きつく先はガッカリな自分をみることになりますので、目的を再認識されるといいかと思います。
長山先生お返事ありがとうございます。
あらためて自分の送信した文章を読み返して、非論理的な説明や、支離滅裂な、思考の飛躍する文脈があったと気付きました。
とても読みにくかったと思います。そのような中で、内容を落とし込んで、現象の捉え方、向き合い方についてご指摘くださいまして、ありがたく思っております。
youtube「問題の定義」前半動画「然学メンバーYくん」の体験談、それと共に後半の動画も続けて視聴させていただきました。自分に起きた現象について、全体像を俯瞰するような見方ができるようになり、理解が深まりました。
メンバーY様の体験談、自分にも重なる部分がありました。いま私は求職活動中ですが、やりたい職種やりたい仕事はあっても自分に自信がなく『自信の無さ』や『再就職への不安』をスキルで埋めようとして、パソコン教室に通っています。
教室に通う前から、その自覚はあったのですが、実際のところパソコンスキルが著しく足りてないのも事実で、自分のウィークポイントから目を背けるのも違うなと思って、通うことにしました。
パソコンスキルは、シンプルに身に付けたいです。でも自分の自信の無さについては、パソコンスキルで補えるものではなく、シンボルランゲージを学びながら、向き合っていきたいです。
今回の件は歪んだ形で、自分を犠牲にする形で、条件付きの願望達成をしてしまったと、そう捉えるのが自然だと感じました。動画の中に出てきた『不快処理能力』著しく低いと思います。『幼児性』自覚しています。
そもそもですが、短絡的に『ボケたおじいちゃんが、誰かに頼られたい私の願望を叶えてくれた』と結論付けた自分の思考が『母親に愛されなかったのは→母親は仕事で忙しかったから』と勝手に子供が想像で物語を作ってしまうような『幼児性』そのものだと気付きました。
『問題の先にある、私は本当は何を恐れているのか』を考えてみました。現時点で気付けている範囲では、これから再就職しようとしているのに、しっかりしないといけないのに家事や子育てを丁寧にこなせなくなっていて『休みたいな』と思ったら休んでしまう。また元々、完璧主義ではなくズボラなタイプですが、今まで以上に手抜きしてしまう。
こんなに、自分の気持ちを優先したことが今までなかったのではないか、それはまずいことなんじゃないか。こんなに、自分のことばかり優先していたら、底無し沼のように堕落して、今まで以上に役立たずになってしまうのではないか。というものです。
今までの自分ならしていないようなこと、自分の安全圏を越えるような決断や動き方が多くなっています。今までなら制限を掛けていた(頭でコントロールできていた)ところにブレーキを掛けられなくなってきています。
今回の動画視聴により、幼児性の強化をしてるのかも?という疑問も出て参りました。不快から逃げ回っているから、このような動きをしてしまうのでしょうか。自分としては、器を広げていく方向性で、気持ちに向き合ってきたつもりだったのですが、間違っていたかも知れません。
何かお気付きの点ございましたら、コメントお願いいたします。
まずは「観察」するコトだけを意識してみてください、思考であれこれ考えても「また考えてるな」「シンパイしてるな」と、湧き上がる思考と感情を「そのまま(ジャッジせず)」存在させていくといいと思います。
今回公開した「問題の定義:番外編」もぜひ参考にされてみてください。
1ヶ月半前から右目の見え方に違和感があります。白いモヤのようなのがかかっていることと飛蚊症です。それと説明しにくい違和感です。2カ所眼科を受診して、検査しましたが特に異常なく視力も問題なし。この症状は年齢のもの(55歳)でつきあっていくしかないとのことでした。しかし書き物などしていても見にくく疲れてしまいます。これは何かのサインだなぁ‥と感じています。アドバイス頂けるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
さなさん、こんにちは。長山です。
「違和感」「説明しにくい違和感」と、文章に違和感の文字が2回あります。
心の奥底に潜んでいる言葉にならない「違和感」が、表に出ようと(飛蚊のように)しているのかもしれませんね。
「見にくい」=醜い
「右目」なので、「白黒ハッキリ」させなければならないことなど
目を覆うような「見たくない」ナニかがありますか?
それを考えると「疲れて」しまうようなこととかありませんか?
ご相談の方よろしくお願いいたします。人生イチと言えるほど、必要な会話がスムーズに出来ない仕事相手に困っています。
その方からのメールでの説明文や、実際の会話も、宇宙人と話すかのような、頭の中がハテナでいっぱいになってしまう次第です。
その方特有のコミュニケーションの仕方だと割り切り、事の本質だけ見るようにと心掛けていますが、相手のペースに飲み込まれないように頭が必死に抵抗してしまいます。
なぜ、このような方とやり取りせざる終えない状況になったのか?自分でこの状況を望んだのか?
自分の心の中に何か目を逸らしたいものがあり、自分を騙す意味で、このような頭を混乱させる、不快にさせる人物を人生に登場させたのか。
その方はもしかすると、何かのご病気なのかもしれません。似たような感情を生前の母に感じた事があります。
話が通じないジレンマ。こちらの「心」を汲み取ってもらえないもどかしさ。この人物がお知らせそのものなんですね?
過去に感じきっていない母への感情が今この現状を招いているのでしょうか。ご助言いただければ幸いです。
セイさん、こんにちは。長山です。
「話が通じないジレンマ」「心を汲み取ってもらえないもどかしさ」を生前のお母さまに感じていらしたということは、やはりその感情を完了するために仕事相手に困っているのだと思われます。
お母さまへの感情を感じキルことが優先されますので、出来る範囲で取り組まれてみてください。
それが取りもなおなず、自分への接し方にも通ずるハズですので、そちらの観察もお忘れなく。
よろしくお願いいたします。自分の心の中でしっかり感じ切らずに、こうして質問してしまう気分の弱さの自覚があります。心配なことが湧き上がってくると、思考的に居ても立っても
居られなくなり、調べたり、尋ねたり。安堵出来ることが見つかれば、しばらくは忘れ、また不安がムクムクと湧き上がるの繰り返しです。
人生に「絶対〇〇」な事などないと、頭の中ではわかっているつもりなのに、それでも「自分のいる場所を最良な環境」にしなければという焦りが常にあります。
いっそ、「面倒くさい!」と、「自分の人生の環境作り」へのこだわりを手放したくなる時がありますが、やはり「見て見ぬふりややり過ごす」事が難しく、
常に「何かと常に戦っている(主に自分の中の恐怖)」自覚があります。自然の法則を自分なりに学び、そのような気持ちが起こった時には、感情を感じきる、
寄り添う練習をしているつもりですが、なかなか難しいです。自分の心の現在位置をご説明するに、前置きが大変長くなり、失礼いたしました。
本題です。
最近あった事象ですが、心に引っかかります。これが「合わせ鏡の法則」なんだなと気がつきました。今年に入ってから知り合い、とある仕事を依頼した会社の方ですが、
御夫婦で経営されています。先日の打合せで、その御夫婦が眼の前でかなり強い口調の言い争いを始め、その場では何も解決されず、ご主人の方が顧客である私に謝罪され帰られました。
この「突然の言い争い」は、然学で言えば「お知らせ」「私が私の中で仲違いしている」のを見せられた(合わせ鏡の法則)」であろうというのは、瞬時に察知しました。
そして、今そのことで悶々と考えています。「自分が自分と仲違いしている」事をその御夫婦が体現してくれた。自分の中の不安や恐怖から逃げず、向き合えば終わる。
正直、これに気がついただけでも自分を褒めてあげたいと思う甘い自分。でも、気がついただけでは、事象は続くばかり。自分の心が外の世界に投影(映画みたいに)されている、
ならば「映画のリール(自分が穏やかで健やかにいられる別の物)を変えれば良い」。焦っては上手く行かない、じっくり一個一個の事象や感情と向き合い、逃げずに感じきる。
これらを疑わずにコツコツ実践してみる。もしかしたら、感情を感じきる事を実践すること自体に恐怖を感じているのかもと知れません。自分の本心に気づきたくないから、
あーだこーだ悩んでいる方が楽なのか。これも、このような的を得ない質問もどき、申し訳ありません。
長山様への質問というより、心を整理する内容になってしまいました。転んでは置き、転んでは置き真っ最中の者にご助言いただければ幸いです。
長文お読みいただき誠にありがとうございました。
mayoさん、こんにちは。長山です。
「心配なことが上がってくると、思考的に居ても立っても居られない」とありますが、これは、思考的にではなく、身体的に、です。
身体に残っている感じ損ねた感情(感覚)を処理(完了)したくて、心配事を引き金にし解放しようとしているという構図です。
この状態でいくら上辺の感情(思考まみれのエセ感情)を感じようと、ましてや思考で分析しようと、不快を快にするための行為であれば本末転倒になります。
まず、内側にある得体の知れぬ不安と恐怖に「怖気づいてる」自分を認め、じっくり観察してみること。動画にもある「現実を視る」という実践です。
長山様
ご返信ありがとうございました。また、長文、改行がズレてしまった文章で読みづらく大変失礼いたしました。
内側の得体のしれぬ何かを静かに逃げずに見つめ、ただただ「感じ」られるよう意識してみます。
ご助言ありがとうございました。
質問よろしくお願いします。
数ヶ月前から、歯茎のトラブルを繰り返しています。
歯医者にも行きましたが、異常はなく、どうしたら治るのか分かりません。
自分にとってのメリット(何かから気をそらしたいなど)も考えてみましたが、特に思いつきません。
この問題は、何を教えてくれているのでしょうか。
SICさん、こんにちは。長山です。
「メリットも考えてみたが思いつきません」とありますが、無意識なので考えても通常わからないものです。
繰り返しているということは、痛みという体験を「極」まで受容されていないのかと思いました。
不快や痛みを「快」にするために感じたり考えても、奥にあるメッセージは拾えませんので
まずはしみじみ受け取ってみられたらいいかと思います。
そしてその後に
ひも解き方のポイントとして
起こった問題そのものを考えるのは一旦置いておいて
その事が起こった事によって、どんな気持ちになったのか?
どんな感情(イライラやソワソワやドキドキなど)になったのか、そこに目を向けてみられ、ただ感じてみてください。
お返事ありがとうございました。
早くどうにかしようと色々と試していたのですが、長山さんから言われたように「今はこの状態をただ感じよう」と思っていたら、症状が落ち着いてきました…ありがとうございます。
あともう一つお聞きしたい事があります。
三年ほど前にある人と知り合い、一度食事に行き、また会う約束をしていたのですが、相手の都合で会えなくなり、二年後にまた連絡が来て、お付き合いしたのですが、また相手の仕事の都合で離れました。
お互いに嫌いになった訳でもないのに、なぜこんな中途半端な状態で終わってしまったのかと、ずっとモヤモヤしています。
また連絡が来るのを待ってしまうのですが、恋人がいない状態を早くどうにかしたくて、執着しているだけなのかもしれません。
今の状態の自分を受け入れるには、どうしたらいいのでしょうか。
前回の回答に通ずるものがありますが、
まずはそのモヤモヤを「起こった出来事や人物とは切り離して」しみじみ感じてあげてみてください
そして「なぜこんな中途半端にしておきたいのか」と、ご自身に問うてみてください。
一見するとデメリットのようにしか見えない出来事にも、普段気付かない自分にとってのメリットが隠れています。
現実を視る訓練です。
長山さん、ありがとうございます。
自分にとってのメリットは、確かにいくつもありました。そのメリットや、結婚に対する不安や心配などは、自分の中でゼロにするのは難しいので、結局恋愛は諦めて、一人で生きていくしかないのかと考えてしまいます。
メリットを手放す事で確かにデメリットも同時に手放していけますが
ここではその両者を存在させても葛藤のない状態というものも解説しています。
ちょうど「問題の定義」というシリーズの動画&ブログを作っている所ですが
本日(8月14日)夜《後半》が公開されますので、ぜひそちらもご覧ください。
そこでも解説が出てきます。
こんにちは。質問させてください。
職場の人間関係がうまくいかず、仕事がとてもやり辛いです。不機嫌に強くあたられるのを数年間ずっと繰り返しています。なにが問われているのかと、合わせ鏡として考えてみて、私が私をかまってあげられていないからなのかなと思いました。
「あの人、私にだけ冷たくないですか」と他の人にわかってもらいたくなるのですが、自分で自分をわかってあげたらいいのかなと、頭の中で「ひどいよね、なんなのあの人〜」とやっています。
ずっと向き合っていますが、だんだんヒートアップしていきます。なんであんなにも素直じゃないんだろうと思ってしまいますが、それは私の中の素直じゃない部分を私に知らせるためなのでしょうか。
とてもしんどくて衝動的に転職を考えてしまいますが、転職しても同じなんだろうなとも思います。
合図の紐解き方がわからずアドバイスいただけたらうれしいです。
ひかりさん、こんにちは。長山です。
「人間関係がうまくいかない」から、それに対して「かまってあげられない」「わかってあげたらいい」「素直じゃない部分を見直す」などの分析・対応をしても一向に変化しない場合
変化したら「困る」というケースです。
向き合うことに取り組めば取り組むほど「悪化する(させる)」ということは、気を紛らわす絶好の現象だからです。
いったんその「問題」とは距離を置き「Stay」してみたら、次なるステップが見えてくると思います。
(Stayについては、Youtube動画等でご説明していますので、ご覧ください)
「数年間ずっと繰り返している」というのがその証なので、根っこがどこなのか問いを立ててみてください。
長山先生、ご回答ありがとうございます。
確かにずっとこの事ばかり考えてしまっています。数年間も。なんとか気にならなくならないかと対策を探してしまいますし、頭の中はいつもこの事でいっぱいです。「なんでこんなにも振り回されてるんだろう」と馬鹿馬鹿しくなります。それでもやめられずにいました。
何から気を紛らわせたいのか、根っこはどこなのか知りたいです。stayしてみます。ご丁寧にご回答いただきほんとうにありがとうございました。
はじめまして
質問させてください
仕事やプライベートで早く進めたいことや気になっている事で問い合わせても、要領を得ない答えや返事がなく待たされる状況が多々続いています。
返事がないと自分の事を進められないような、軸が相手次第になっているのもなんとなく自覚していますが、どういうサインなのか
また、どうしたら物事を進められるでしょうか?
Nicoさん、こんにちは。長山です。
「どうしたら物事を早く進められるか?」ということは「進まない」滞りがある、すなわち「進めさせない」ほうが自分にとって都合がいいと形而上ではみます。
要領を得ない(曖昧)、待たされる(先延ばし)、軸が相手(責任とらなくていい)という「外側に左右さ【せ】る」状態でいる自分にとってのメリットは何でしょうか?
「進みたいが進みたくない」両方を認め、じっくり向き合っていくと、じれったい「ダブルバインド」から解放されるかと思われます。
ご回答ありがとうございました、進めたくない気持ちがあるんだなと感じてみることをしてみようと思います。
もうひとつ質問させてください
2年前、左胸を手術し、再手術となり、2回目の手術のあと、左肩をひどい五十肩と帯状疱疹を同時に起こし、半年ほど仕事ができませんでした。
まだ完全に肩が上がらない上、神経痛の後遺症があるのですが、今日、階段を踏み外し転んでその肩をぶつけました
これは何のサインなのかとても気になっています。なぜ左ばかり負傷し、2年たってまた同じところをぶつけたのか
何を教えてくれているのでしょうか
現象として
手術2回→切り刻む
ひどい五十肩・帯状疱疹・神経痛→痛み
上がらない肩をぶつける→攻撃
外側=内側ですので
これがNicoさんの内面で起こっているとしたら「恐怖」でいっぱいのように視えます。
守るための防御は同時に攻撃(自爆)になりますので、ナニを怖れているのか、自己対峙してみられるといいですね。
ちょうど明日8月7日から3部作で「問題の定義」という動画をYouTubeで配信していく予定なので
問題とは何か、向き合い方、など、よろしければ参考にされてみてください。
いつも有益な発信をありがとうございます。
1点質問失礼いたします。
予約した部屋の空調不良が2回連続で起こり、2回移動になりました。
普段はこのようなことは経験しません。
これはどのようなことを問われていると解釈できるのでしょうか?
Yさん、こんにちは。長山です。
気になる事、立ち止まるコトなどは「それ」単体で起こることはなく、連続性のなかの「ひとコマ」として捉えると分かりやすいと思います。
2回の空調不良と移動に遭ったとき、ナニを感じ、どう思ったかをまずは振り返ってみてください。
とっさに湧いた感情と思考が、普段から出したいものとつながっているハズですので。
いずれにせよ「循環」してない現象なので、戸惑ってることやブレーキかけてることがあるかもしれませんね。
夢や希望が叶わず悲しかった感情を感じ切りました。その後で少し落ち着いた気持ちになれたのですが、同時にどうせ叶わないのだから期待するのはやめようという気持ちにもなり、すべてのことに希望が見いだせなくなりました。夢見る夢子ではなくなったのですが、感情がない感じで、これから先に明るい未来を想像できません。このままずっと消化試合のような感じで人生を終えていくとおもってしまいます。なにかアドバイスいただけますと幸いです。
samさん、こんにちは。長山です。
「感情を感じ切りました」とありますが、ホントに感じきったら「完了」するので、「期待するのはやめよう」という落胆などで「防御」する発想は出ません。
「感情がない感じ」という表現からも、感情にフタされたようにみえますので、おそらく思考優位状態なのではと思われます。
まず、目指していた夢や希望の動機はナンでしょうか? 不安を解消するためや、怖れを克服するためだとしたら、そもそも叶わない「しくみ」なので、全体的に「自然の法則」の構造を見直してみるといいかもしれません。