占星術マジック
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「なぜ、昔から【占い】は廃れないのか」
「なぜ、占いは【ハマる】と抜け出せないのか」
これ、知りたくありませんか?
こんにちは、長山 恭子です。
「なぜ」こんな話をするかというと
わたしはここ数年、公での「占い」を止めていたのですが
また「再開」したので、その「理由」をお伝えしたいからです。
これを、知っていただくと「モノゴト」に対する概念がガラリと変わり
意識「次元」が勝手に上昇します。
これは、「占い」に興味ある・なしに関わらず
これからの時代を生きぬく上でとても「役立つ」話ですので
ぜひ、最後までお読みいただけたらと思います。
では「占星術マジック」 いよいよ始まります。
●「占いジプシー」の終焉
わたしは、20年以上「占い」と「開運」をベースにいかにヒトが人生を「幸福」に過ごせるか洋の東西問わず「探求」してきました。
結果、以前の「占い」と復活後の「それ」とは、大きく異なります。
たとえば「時」を計る「インド占星術」なら
ホロスコープを読み解く「手法」は同じでも 「活用法」がまったく違うこと。 |
「場」を看る「風水」なら磁場を測る「ロジック」は同じでも、星と絡めて活用するところなど、
これまでの視点は、どちらかというと「局所的」でしたが
現在は『森を観て木を計る』「マクロ」的な視点が加わり大きくなって返り咲きました。
どう違うのか、
「部分」だけみていた以前のわたしを少し振り返ってみます。
20代前半のわたしは「アファメーション」だけやっていればナンでも「叶う」と信じていました。
しかし「1年後」には「不自然な」プラス思考は続かないと、偏り思考を止めました。
その後、運命学と称する「中国占術」をしばらく取り入れます。
『雨が降ったら(衰運期)休み、晴れの日(盛運期)に活動する』
こんな、「運」の勢いに乗ってさえいれば安泰だと
プラス思考で「ひた走る」アファメーション時代とは一変するメリハリのある「落ち着いた」くらしです。
しかして、そんな穏やかな日も束の間
「運気」が下がる「時」や「磁場」が悪い「空間」ではジッと我慢の「忍耐時代」を迎えます。
- それやっちゃダメ
- あっちの方位はヤバい
- 今は大人しくしておれ
いちいち「禁忌」に囚われ、気づくと「監視カメラ」に緊張する毎日。
こんなの長く続くわけありません。
そして30代にようやく占い界のヒーロー「インド占星術」と出合います。
それまでは不安におののき「暗闇」を歩いているような感覚から、常に「運気」を「用心棒」代わりに付けていましたが、
星の導きのおかげで「闇」が照らされ、「今」なにをすればいいか「道」がハッキリ見えてきました。
詳細なタイムラインを示す羅針盤(ホロスコープ)に沿っていれば、「運」など開く必要がなくなり人生「上がり」とさえ思えました。
ただ、そんな「星」の恩恵ですら「取り扱い」しだいでは「害」にもなると、気づくのに「15年」かかりました。
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●「1/2」の真実
そもそも「占い」とは「帝王学」のこと。
「時」の貴族や為政者とは切っても切れない関係です。
「占い」とは「裏=心(うら)」が「ない」
つまり、表裏は同じということ。表(現実)を知るには、裏(心)をみればわかる「しくみ」です。
表にみえる現象を別の見方で検証することを
「裏付け・裏を取る」と言うように
「表」だけでは片手落ち、
「両面」押さえることでモノゴトの「信憑性」が高まります。
すなわち舞台裏に「黒子」がいてこそ、表の「役者」が活躍できるように
「裏」とは「表」を支えるための【相棒】です。
それはヒトが生きる上でも「上っ面」だけでなく、裏(本音・テーマ)を知ってこそ、自分に対する「信頼」が増し「安心感」が生まれます。
「占い師」とは「それ(裏)」を読み解き、伝える人のこと。
有名どころでは
- 古代女王「卑弥呼」は、祈祷師(シャーマン)であり
- 平安時代の陰陽師「安倍晴明」は朝廷の役人=国家公務員(文部科学省)であり
- 三国時代の天才軍司「諸葛孔明」は天を仰ぐ星読み人(びと)です。
昨今では エンタメ要素が強い「占い」ですが、古来より聖職者しか扱えない「聖域」でした。
「占いと占い師」は「聖書と神父」のような関係で、その活用法は「取扱者」によって千差万別です。
わたしは職業柄「どの占い(占い師)が正しいですか?」と聞かれます。
答えは 「その人にとっては、どれも正しい」。
そのときの依頼者にとって必要な「占い」と「術師」に出逢うことになっているからです。
このように「占い」は、いつの時代も迷える子羊を導く「伝道師」のごとく術師によって脈々と伝えられ、
さまざまなカタチで廃れず(歪みはしたが)くらしに役立つ便利な「道具」として残ってきました。
かつては国を治める「帝王」のみに扱われた「それ」ですが、
一般化した現代での「用い方」は、おおむね「問題解決」法や事を起こす「よき」タイミングを知るためではないでしょうか。
しかして目的が「それ」だといちいち運気に「左右」され、
たとえ「いい時期」を迎えたとしても、いずれ訪れるであろう「衰運気」に気をもみ
知ったがゆえの苦悩から「やすらぎ」どころではありません。
そのうえ、衰運気(雨天)には「何もするな」的な判断は、自己の「非力」を認める行為となり、
いずれやってくる盛運気(晴天)での「喜び」すら、受け取れなくなってしまいます。
(理由はあとで説明します)
重要なのは「なぜ」そのタインミングに雨が降る(衰運)のか?
厳密には、なぜ「自ら」わざと!雨を「降らせて」しまうのか?
その「カラクリ」を知っておくべきです。
なぜなら、せっかく未来がわかっても、「運まかせ」の行為は一見「効率いい」ようにみえても
これだと、人生半分「あきらめる」ことにもなり、
車でいう「片輪」だけで進むようなもので、同じ所をぐるぐる回ってしまうからです。
これが
「占いジプシーに【ハマる】と抜け出せなくなる」
理由のひとつです。
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せっかく占っても「中途半端」になるのはイヤですよね。
これを昇華するには、運を「現実に」活かす「的を得た」術(すべ)を取り入れるコト。
まとめると
裏(本質)がわかる「占い」は自身を「余すことなく」知る手段として最適なツールであると同時に
表(現実)に活かす方法とセットで「まるごと」取り組むことが大切です。
ということで、
便利ツールの「半分」のみでは、 前進しないとわかったので「もう半分」を整えることにしました。
順を追って説明します。
●意識の「ゆがみ」
せっかく占星術を取り入れても、うまく「くらし」に活かせない理由が「2つ」あります。
- 依頼者の、本質を受け取る「タイミング」が熟さないとき
- 今の「テーマ」を日常に反映させる「システム」がわからない場合
1.依頼者の、本質を受け取る「タイミング」が熟さないとき
各人が与えられた「天賦の才=本質」を活かしきれない理由。 「才能」とは 努力なしに備わっている生まれ持った資質で 当たり前すぎて、 そもそも気づ「け」なくなっています。 さらに 『人は持って生まれた才能によって 進歩・発展するが 同じモノで【破滅】もする』 『人から好かれる要素が 同時に【嫌われ】要素でもある』 と言われるように、 才能とは、扱い次第で 「蜜(長所)」が「毒(短所)」になってしまいます。 それは 各人の「ホロスコープ」に示される才能の「捉え方」に「4パターン」あるからです。 ◆その①:『過多』前のめり型、力ずく【ジャイアン】タイプ 望むモノに対し、 もっと欲しい焦りから「前のめり」になり、達成しても不完全燃焼となる。 例)モデルの容姿コンプレックスや 優等生が抱える劣等感など。 ◆その②:『不足』降参型、卑屈【のび太】タイプ 望むモノに対し、 高望みすぎて達成できず、過小評価し「あきらめ」、 楽なゾーンに収まるも、他者への嫉妬が止ま(病ま)ない。 例)ざわつく暇人 ぬるま湯的な言いわけ人生など。 ◆その③:『錯覚』ねじれ型、拗ねる【スネ夫】タイプ 望むモノに対し、 ゆがんだ無いものねだり 努力が「的はずれ」で、望みは得られない。 例)気を紛らわす刺激病 うらみ節(ぶし)人生など。 ◆その④:『自然』高徳型、ゆるむ【ドラえもん】タイプ 望むモノを 特別視せず「そのまま」受け取る。 例)スムーズ(肚と頭が一致)で 楽しい人生。 結論:「才能」とは、特別なモノでなく単なる「役割」である。 ということで、①ジャイアン②のび太③スネ夫タイプでいるうちは、 本質を「ストレート」に受け取る「タイミング」でなく、もうワンクッション必要なときです。 なぜ、①~③タイプは【個性】を不当に扱うパターンになってしまうかというと 自己存在(Be)を「条件づけ」で扱い 「DoとHave」優位の思考になってしまうからです。 (関連記事:「わたしを見てー!!」《BE》 《DO》 《HAVE》) 【Be(存在)】でいることが 自己を適切に扱う④【ドラえもん】タイプに近づくことであり、 「宿命」を示す羅針盤(ホロスコープ)をしっかり活かすコツにもなります。 |
2.今の「テーマ」を日常に反映させる 「システム」がわからない場合
たとえ自己の「テーマ」が明確になっても、 果たして「今」道に沿っているかどうか「目安」がないと軌道修正できません。 また「道」から外れているとわかったとしても 「戻り方」を知らないと、ずっとそのままです。 こんな「ジレンマ」からは早目に抜けたいですよね。 この「軌道修正システム」を取り入れることが、命のシナリオ(ホロスコープ)を生かす次なる課題です。 |
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●賞味期限付き、救済法
そこで「滞り」を解消するために
古来、インド占星術ではあらゆる「処方箋」が用意されてきました。
各人の星図にふさわしい「宝石」を身に着けたり、「マントラ(真言)」を唱えたり
神々を図形にした「ヤントラ」をお守りにし、護摩を焚いて祈祷(プジャ)したりと
日本における厄除け祈願のように、
祝詞や真言を唱え神仏に「守護」を願います。
南インドにおいては、それこそ星の数ほど「惑星寺院」が点在し、
日夜「カルマの解消」儀式が行われています。
かく言うわたしも、過去15年間予言の書「アガスティアの葉」の代行サービスをしていた経緯から、
救済法と称する過去世の「カルマ解消」に関してはいくぶん精通しています。
インド5000年の歴史の中で育まれてきた儀式はまさに「圧巻」で、これまで多くの「ミラクル」を目の当たりにしてきました。
はじめは、日本人の「救済法」をわたしが「代理」でしかも遠く離れたインドでやるなんて
果たして「意味」はあるのか、つまり「効く」のかどうかです。
当時は、目に見えぬ「カルマ(業)」の有無などわかるはずもなく、
処方儀式さえすれば「悪因」は消えるものだと聞かされてはいたが、もちろん半信半疑なので「効くか否か」は重要課題でした。
わたしは基本「コト」を起こすとき確信度が低い場合は「結果で判断する」ことにしています。
やってみて「結果オーライ」なら、その都度、次を「考える」スタイルを取ってきました。
で、結果はというと「効果テキメン」!ただし、同時にわかったことは
これ(儀式)だけでは「不十分」だと。
いうならば、救済法は西洋医学の「対症療法」のようなもので、
はじめは効果的でも同時に「根本治療」を行う必要がある、
ということです。
これは、外から作用させる、その他の術(風水や宝石、神社巡りパワーストーンなど)も同じく・・・
波動を整えることで「カルマ」の顕現を遅らせはしても、あくまでも「一時的」。
つまり「解消」はされませんが「カルマの延期」にはなる、と。
だから根本的には「心」と向き合い「意識」を調整することで、
最終的に、儀式が「解消」につながる「橋渡し」となればいいのです。
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こんな話があります。
20世紀の「眠れる予言者」といわれたエドガー・ケイシー氏が、
心身に問題ある多くの患者に奇跡を起こした「偉業」は有名ですが、
以下が記録されています。
ある34歳の電気技師が得体のしれぬ病にかかり、 ケイシーのリーディングを受けたときの実話です。 ケイシーから 病理学上の説明がなされたあと、 「心のもち方」を変えて 憎しみや敵意を「意識」から完全に取り除くよう勧告されました。 症状はよくなったものの、 精神面に注意を払わなかったその男が一年後、 再びリーディング(治療)を受けたいと申し出たのです。 つまり 症状が「逆もどり」したのだと。 ケイシーの回答は以下の通り。 「あまりに自己中心的で、 霊的なこと(精神性)を拒否したその態度を改めない限り、 何のために病気を治したいのか、 自分の肉欲を満足させたいのか、 ますます利己主義になるためか、 もしそうならば!! 今のまま【治らぬ】方がいい」と。 |
すなわちケイシーが施すリーディング「治療」は、
執行猶予中のようなあくまでも「対症療法」であり、
その間、根本治療として「意識」を変えるよう指示されるケースが多く記録されています。
また、たとえ再発しても「二度と」リーディングには応じない、とも記されます。
※『転生の秘密』ジナ・サーミナラ著
この記録書には他に、
歩けない少女がリーディング後に歩けるようにはなったが
「心を整える」ことを怠ったがゆえにまた「車いす」生活に戻った実例など
ゆがんだ「意識」や「思考」を整えるプロセスをすっ飛ばして
楽な「処方箋」にだけ頼っていては、カルマの先送りのみならず、「悪化」すらあり得ることが明記されています。
そして、
たとえ一時的「処方」で楽になったとしても、意味を知らないと
「他力」が主となり、自己の「非力」を増長させ
ますます「自分」を信じられなくなる傾向になることも。
すなわち、
占星術で人生の「テーマ」を知り、問題がある場合なんらかの「対処法」で「業」を調整している間に、
自分を守るためとはいえ、しかし無知ゆえに「ゆがんだ意識」を「自力」で整える術(すべ)を
身に付けることが重要課題だということです。
長年の「代行」経験からもこれらを痛感したので、
一時的な対処法である「風水」「救済法」「パワーストーン」などの類は
有効利用できるようになるまで「保留」にすることにしました。
●持続可能な「安心」
では、根本治療である意識を調整するにはどうしたらいいのでしょうか?
今の「テーマ」が星図であらかじめ分かっていれば、
それに見合った意識を大自然の原理に沿って意図的に創ることです。
具体的にはその時の星のテーマがたとえば
「手放す・解放・客観視」
のとき
モノを落としたり、
ナニかを見落としたり、
失う不安に駆られたとして
テーマを知らないと
「手放せない」執着から「損失」や「出費」という「苦」を感じます。
知っていたら
導かれるまま「放棄」したり「寄付」する行為が「喜び」につながります。
このように「テーマ」を受け入れ意識をチューニングしていけば、
今という季節にふさわしい「過ごし方」ができて「楽」に生きられます。
●どうかしている「同化」を暴く
とはいえヒトは
たとえ「テーマ」がわかっても「痛み」から早く逃れたくて結果がすぐ出そうな「カンタン」手法に飛びつきます。
たとえば「アトピー」になったらステロイド剤で緩和している間、
体質改善に取り組めばいいものをすぐ治る「ように」みえる薬だけにたよる、
みたいな。
根本治療には時間はかかりますが、根気よく取り組んでいけば、必ず「道」は開けます。
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それには、じっくり「闇=苦」と向き合っていくことです。
「闇」とは
見えない世界に葬ったもう一人の「自分」のこと。
暖かい部屋にずっといると「暖」を感じられなくなりますが
外の「寒さ」に触れたときに中の「暖」に気づくように、
ずっと一緒の「自分」とは「同化」してしまいます。
なので、自分の事はたとえ真摯に「向き合って」も、「盲点」となって「気づけ」ず
「ひとり」だけでは「わからぬ」ようになっています。
そこで他者という「鏡」(グループ形式)を使って
同化で見えなくなった「内面」をあぶり出していきます。
まず
世界(他者)を通して気になる現象を「かたまり」としてとらえそれを開いたり閉じたり、
ぜんぜん関係のない「バラけたもの」をつないだり切り離したりして、
現在の「テーマ」を抽出していきます。
その「かたまり」の代表ともいえるのが「星の集まり」=ホロスコープ(出生図)です。
天の「星座(場)」に浮かぶ「惑星(時)」群たちがエネルギーとして「地」に降り「カタチ(現象)」となって表れます。
この「カタチ(形霊)」から問われる「テーマ」と「ホロスコープ」を連動させてくらしに活かす「システム」、
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この「象徴言語」での会話(象話)を身に付けると、カンタンに大自然と「つながれる」ことがわかったので、
さっそく探求してみることにしました。
●ゆるんで「中庸」アウフヘーベン
まず「象話」に必要な「然学 Neutlogy」という論理体系をベースに生きるコトを、
ここでは「ニュートロジスト」Neutlogistと呼んでいます。
周囲の気になる「メッセージ」を読み解き、
困った偏りを「ニュートラル(中和)」にもどし「アウフヘーベン(止揚)※」する生き方です。
※アウフヘーベンするとは |
「対立する考え方やモノゴトから より【高次元】の答えを導き出すこと」 |
詳しい「やり方」は先のセミナーでお伝えしていますが、
まずは今の「立ち位置」を知る必要があります。
「羅針盤」のごとく
目的地と方向性を示す「インド占星術」は人生の「全体像(森)」を知る「望遠鏡」であり、
「部分(木)」テーマもわかる「顕微鏡」でもあるので、
「現在地」を知るには最適なツールです。
インド占星術はサンスリット語で【ジョーティッシュ】Jyotish
「光の科学」という意味で闇を照らす「暗夜灯」のような役割です。
この「光」によって「運」の流れがわかると
衰運気にやってくる憂うつな「雨天」を「そのまま」受け入れ「嘆く」のでなはく、
恵みの雨に「質」を変えたり雨すら「降らせなく」することも可能なのです。
すなわち「衰運気」とは、恐れや嫌悪の対象でなく、「冬」や「夜」のように「静かな」性質のこと。
これをしっかり受け取ると、「夏」や「昼」のような輝く「盛運気」には、運気がますます勢いづき、
「喜び」が向こうからやってくるようになります。
これが、「ゆるんで」いれば望みが勝手にやってくるという自然の摂理、「中庸」です。
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●「天地」が織りなすダンス
先日、過去1年間のテーマをお伝えした方がこんなことを言っていました。
「自分の決めてきた『道』からたとえ外れても、星をたよりに『戻れる』んだから、こんな安心感はない」
と、星通りのコトしか起こっていないと確信し、膝を叩いて喜んでいました。
だからこそ「戻り方をもっと知りたい」とも。
ということでこれを機に「感性」を研ぎ澄ませ、
天からのメッセージと自己の「本質」が出合う【星に導かれて】と題した 「ゆる旅」を企画してみました。
「分離」したもう一人の自分が自然と「つながり」共鳴する瞬間が創られます。
まるでそれは、天地のダンスのように「いのち」の陰陽が結ばれ、蘇ります。
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●「最強パターン」を選ぶ
これまでの世界は「闘争」に明け暮れていましたが、これからは「つながる」時代です。
然学的スタンスでみると
自己のなかの怖れと不安が、外の「争い」を引き起こすわけですから平和運動や環境破壊反対など、
なにも「外」に働きかけずとも、内なる「闘い」を終わらせていけばいいのです。
もし「ニュートロジスト」という生き方が多くの方に拡がったなら、
そんな世界がいともカンタンに実現できそうです。
その魔法の杖が、
人生のテーマを表す「占星術」と
日常のテーマをひも解く「シンボル・ランゲージ(合図)」ですから
これをいかに有効活用するかで、各人の「苦楽」は大きく左右されるでしょう。
それには以下に示す、どのパターンで生きるか自分で選べばいいのです。
- 【ツールなし】「苦≧楽」
- 現象はすべて「偶然」行き当たりばったりで錯覚に振り回される
- 【宿命のみ】「苦=楽」
- 未来予見は可能でも、出来事のコントロールは不可
- 【合図のみ】「苦=楽」
- 出来事を解析してコントロール可能だが、未来予見はできない
- 【宿命+合図】「楽≧苦」
- 未来予見でテーマを知り、出来事を解析しコントロール可能
1は、今までと変わらず論外ですが、
2は「占い」だよりで、現実が「ふわっ」としてしまい
3は「合図」いっぺん倒で、目先の「枝葉」しか見えません。
よって4番目「宿命と合図」のセットが「最強パターン」であることは言うまでもありません。
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その第一歩が「自己を知り」受容すること。
自分がナニモノかがわからぬと、別のナニかになろうと「ゆがみ」ます。
わたしは基本、占星術や風水を単なる「占い」として扱ってはいません。
人生における自己に与えられた「役割」をスムーズに発揮するための入り口として
まず「インド占星術」を用い、
役割から「ズレて」いたら「然学メソッド」で意識を自然に戻しながら、
エネルギーの補助として「風水」で「場」を整えるという、トータルバランスで使っています。
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世界は常に「うつろい」変化しています。
かつては「未知」なるモノに直面したら、「怖れ」から気合いで乗り切るしか方法がなく、
それはまるで、シートベルトなしのジェットコースターにでも乗っているような「気分」でしたが
「星の導き」と「法則」の【理解】という確固たる【安全ベルト】がある今、
未知なる変化=恐怖は「好奇心」に変わり「知る」ことの偉大さをしみじみ感じています。
では最後に、重要な点をお伝えします。
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ということ。
長年取り組んできた「プラス思考」や「運を呼び込む開運法」、
コントロールばりばりの「引き寄せの法」などは「欠乏」を背景とした【偏った】やり方でした。
なぜなら
欠乏という痛い「闇」を嫌って「光」だけを追うことは「相対」する世界に生きている限り エネルギー的に不可能だからです。
しかし今は、苦楽はセット
「なにがあってもなくても、絶対【安心(あんじん)】を得る『まるごと』の世界」を手に入れました。
この【両輪】走行の安定感を、皆さんと共有できたらこんな嬉しいことはありません。
わたしがこれまで得た膨大な知識と【世界観】をあますことなくお伝えしたいと思い
最初の扉として「占い」を再開したわけです。
ようやく冒頭の結論に達しましたので、そろそろこれで終わりにしたいと思います。
条件づけられた「ニセモノ」の自分から
「生年月日と出生時刻および場所」のデータを引っ提げて「ホンモノ」の自分に逢いに来てください。
目の前の「景色」が一変しますから。
いつか皆さんとお目にかかれることを楽しみにしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
長山 恭子