五官から入ってくる
気になる
目の前にあるもの、
起こる出来事は
いずれ
自分自身で体験するであろう
前兆です。
二度あることは三度ある
これを「追体験」ともいいますが、
他者がしている体験が、
自身に降り掛かってくること、
これも実は追体験なのです。
なぜ
このような現象が起こるかというと
「対(つい)体験」として
強制的に!
経験させられているのです。
はぁ?
ですね・・・
しかも
強制的!?
そうなんです。
自分の意思とは関係ないところで
勝手に起こる現象です。
だから
防ぎようがありません。
ただし
あくまでも表象意識では、ね。
これは
体内にウィルスが入ったら
・・・熱が上がる
身体の体温が上昇したら
・・・汗が出る
という
身体維持機能が働き
正常を保つのと同じ原理です。
目の前の追体験は
・・・熱が上がる
・・・汗が出る
だけなので
なぜ
その現象が発生したのかわからないと
ただ《不快》でしかありません。
原因がわかると
その追体験が
まさに「対体験」であると
わかった瞬間、強制力が弱まります。
つまり
無意識で起こる現象を
意識化してしまえば、
なんと、
現象が消えてしまうのです!
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対(つい)とは
ペア、セットです。
切り離す事は出来ません。
だから
もれなくセットでついてくる
強制作用が体験となるのです。
どういう原理かというと
ペアの片側に偏り過ぎると
その片側を存在させるために
もう片側を
用意させられます。
例えば
靴下の片方だけがたくさんあっても
使い道がありません。
もう片方が用意され
はじめて靴下として活かされ(存在され)ます。
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先日
小学5年のA子ちゃんと話したこと。
・運動会に負けた。
・仲のいい友達が別の人と仲良しになり
ひとりぼっちになった。
どうして?
という質問。
そのことが起こる前に
なにか気になる出来事が
あったかを聞きます。
音楽の時間、アコーデオンをつかうとき
弾きやすいアコーデオンが一つだけあり
みんなそれを使いたいけど、
争いたくないから
友達に譲った、と。
そのとき、
「いい子ちゃん」を演じたA子ちゃん
ホントは自分も使いたかったよね。
我慢した自分(の感情)を
《置き去り》にしていたね。
だから
友達から《置き去り》にされ
自分の感情に《負け》たから
運動会に《負け》たんだよ。
でも
負けたから、
友達が去っていったから
自分の置き去りにした
「本当の思い」に気付くことが
出来たということ、よかったね。
これを
ほったらかしにしていると
将来
自分の気持ちに正直に
生きている人をみると、
やりきれない感情が
出てきて、怒りに発展していくからね。
かと言って
やりたいことを
相手を考えず自己チューに
やっていいのとは違うからね。
自分も使いたいけど
今回は譲るよ、次は私ね。
つまり
自分も相手も尊重する、という生き方。
これは
A子ちゃんのご両親も
同席している中での会話です。
親御さんが
日常生活でやっている
「いい子ちゃん」が
そっくりそのまま
A子ちゃんに映し出されているだけ。
このように
偏った考え方、生き方をすると
対体験が何度も追体験として起こります。
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