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ただし質問内容は、身近に起こった気になる合図・お知らせの意味合い、ひも解き方を中心にお答えさせていただきます。
例)朝、車のエンジンがかからず遅刻した。ざわつく案件の意味。頻繁に起こる気になる出来事と気分。感情の扱いなどです。
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長山先生、いつもありがとうございます。嫉妬の感情について相談です。片思いの相手の彼女に異様に嫉妬してしまいます。一度しか会ったことはないのですが、優秀でキャリアも積んでいる方で、素敵な彼氏と仕事、両方持っていることが羨ましいです。でも同時にちょっと苦手なタイプです。正直この嫉妬の感情に悩まされたくないので、彼女の話は聞きたくないのですが、彼は彼女の話ばかりしてきます。彼は同じ部署で働く同僚なので、無視するわけにもいかず、毎回嫌な気分になります。このように感情を揺さぶられることに意味はあるのでしょうか。転職を考えているのですが、また同じような人に会うことになりますか?
まりさん、こんにちは。長山です。
自然法の原則は、自己の内面が外に現れる、ので、嫉妬=自分にはナイと思ってることを外で見せられるわけですから、普段から「我慢・躊躇・ブレーキ」など、無意識に自分にやってるのかもしれませんね。
「嫉妬の感情に悩まされたくない」=外に原因がある、というのが錯覚で、
「嫉妬の感情がもともとあるからこの現象が気になる」=自分の内側に原因がある、というのが原理です。
自分のなかのナニを抑えこんでるのか、自己会話されてみたらいいかと思います。
youtubeはじめ、こちらの掲示板もとても勉強になります。たくさんのご発信感謝申し上げます。
私は「人に教えて貰う、助けてもらう」という状況でどうしていいかわからなくなってしまいます。なすすべが無くなって機能停止というか。なので、カウンセリングやセッションなど心の専門家の方に頼りたい、助けてもらいながら、変わりたい(楽になりたい)と思って、何度か試しても、上手くいかず、それを証明する結果に毎回なります。その時の感情を感じ切ってないので、繰り返すのでしょうか?
目白さん、こんにちは。長山です。
「自分はいつも人に助けてもらう」というレジェンドがあるようなので、おそらく「わたしは無力です」というレッテルがあるのかもしれませんね。
感情ウンヌンの前に、この「レッテル」を自覚し、そのほうが「都合いい」と思ってる無自覚な錯覚をも認識され、肚(はら)から納得したうえで、どう「生きたいのか」いま一度「決められたら」いいかと思います。
ご回答ありがとうございます!
>「自分はいつも人に助けてもらう」というレジェンドがあるようなので、
なんと自分では逆だと思ってました。。
「自分はいつも人に助けてもらわない」というか、助けられるのがこの世で一番嫌な状況で避けてきたと思って来ましたが、実は助けられてきたし(その認識で見たらそうとしか思えない人間です)無力というレッテルが刺激されるから嫌ということですね。。恥ずかしい…
だから、何度仕切り直しても自分の力で頑張り切ることも出来ないし、結局またカウンセリングなど専門家の力に頼りたいという気持ちが定期的に出てくるのですね、納得です。
無力で依存的な自己像が一番見たくない自分のようです。
鏡をそっと顔の前に出していただいた心境です。
お忙しい中、深く心に届くお返事をありがとうございました。
私は数年前、自分とは真逆の男性と出会いました。彼は人生を楽しむことに重きを置いていて、性格は明るく、家族、友人、同僚、上司など皆から愛される人でした。私も彼の影響を受け、その時期は感情を優位に生きることができ、とても充実していました。しかし1年程経った頃から、彼のコツコツ努力しない姿勢、薄っぺらい発言の数々、他人の気持ちに鈍感なところが目に付くようになり、SNSにキラキラした写真ばかりを載せる事にも嫌気が差し、結局別れてしまいました。そして思考優位の元の自分に戻りました。この経験はなぜ私に必要だったのですか。結婚を本気で考えるほどだったのに、なぜうまく行かなくなったのでしょうか。
ミホさん、こんにちは。長山です。
ヒトは自身にナイ(と思い込んでる)ものを求めるイキモノうです。ナイからほしい、あるけど要らない、と勝手に決めたモノサシで「いい悪い」を決め、その無意識を外に投影し、惹かれたり毛嫌いしたりで気分のアップダウンが生じます。
すべてのモノゴトにはコインの表裏のように二面性があり、どちらか一方だけ存在することが出来ないので、今回のケースはその表裏が時間差で現れた現象のようですね。
自己のモノサシで「出会いと別れ」が生じ、そこからご自身の無意識領域を意識化していくと、なぜうまく行かなかったかみえてくると思われます。
ご回答ありがとうございます。確かに、努力しないと何も得られないとか、自分の良い面だけ見せたいという思いはあります。周りの人にもそれを期待していて、割とすぐにジャッジしてしまいます。良い面だけではなく悪い面も受け入れられるようになったら、次の出会いはうまく行くでしょうか。
「次の出会いをうまく行かせ」られるかどうか、結果を気にして過ごすこと自体、「こっちにしたい!」という偏ったコントロールとなり、緊張状態にいることになります。
その状態でたとえ望む結果になっても、それを維持することに意識を持ち続け、結局「疲れて」手放すことになりかねません。
今ここを大切にお過ごしください。
長山さん、質問をお願いします。
去年職場に入って来た人が、自分から挨拶をしない人で、上司から注意してもらったのですが変わらず、その後も目の前を素通りされた時にあまりにも腹が立ち、直接注意した事がありました。
その人の考えとしては「後輩からしろというのはパワハラ」だそうです。
そして先月、その人がやめたので気が楽になったのですが、今月になり、また戻ってきました⋯
相変わらず挨拶はなく、こちらからしても、顔も見ずに返してくるので、とても嫌な気分になります。
自分の中に「先輩に挨拶するのは当たり前」という考えや「素通りされる=存在を無視された」という悲しみや怒りを感じた、他の人には好かれている事に嫉妬している、という事に気が付きましたが、どうしたら良いのか分かりません。
少人数の職場なので関わらないわけにもいかず、眠れないほどイライラする日が続いて、仕事に行くのも嫌なのですが、自分から挨拶をした方が良いのでしょうか。
髙橋さん、こんにちは。長山です。
まずここでは原則として、「なぜこのような現象が起こるのか?」という問いの立て方ではなく、「なぜ今、自分がこの現象を必要としているのが?」を問います。
その扉のカギとなるのが「感情」なので、この職場で感じている悲しみや怒り、嫉妬が元々「潜んでいた」ということになります。
眠れないほどイライラする、がその証拠ですし、職場での望ましくない人間関係が、潜在的にあった不快な感情や思いを引き出している、すなわち過去の感情を完了したがっている、という構図のようです。→これが現象の必要性
どうしたらいいのか、という以前に、まず「それ」が内側にあることを認識する、距離を取って「それ」をみることで苦は半減していくハズです。あとはこれまでの我慢の蓄積、自己不一致にできるだけ気づいていくといいかと思います。
長山さん、お返事ありがとうございました。
以前「何もかもめんどくさく、自分に向き合う余裕がない」という質問をさせてもらった時に、長山さんから「そんな時は何もせず、自分と一緒にいる」というお話だったので、毎日「辛いよね、苦しいよね」と自分に話しかけている中で、また目の前に嫌な人が戻ってきて「あれだけ苦しんだのに、まだ苦しまなければいけないのか、あと何年これが続くのか⋯」と考えてしまいます。
過去の感情を認識してみていけば、終わらせられるという事でしょうか?
外側の現象につい「思考」がもってかれそうになりますが、「感情さん解放するため出てきてくれたね」と、身体に意識を向けていきましょう。
ポイントは、
イヤな事を終わらせるために「向き合う」のではない、ということです。
最近では、朝起きてからずっと胸がぐーっと苦しい状態が続いているのですが、その時も「過去の感情が出たがっているんだなー」と認識する様な感じでいいのでしょうか?
朝は、潜在意識(本来の自分)優位の状態なので、胸が苦しいということは、たくさん溜め込んでいるようですね。夜寝る前に一日を振り返り「きょうもよく体験した○(まる)」とすべてを受容してからおやすみください。
長山先生、どうぞよろしくお願いします。
先日、職場が倒産し、その後再就職した職場が、今度はオーナーの病気で休業しました。
オーナーは当初、給料を補償すると言っていたのに「やはり無理」と覆され、無給状態です。
抗議したいのと、オーナーも大変だろうしいいや、という思いの間で揺れています。他にも、自分の権利を主張できず悔しいという出来事が続いていた矢先の出来事です。
また、こう何度も無職になってしまうのも意味があるのでしょうか。
りんさん、こんにちは。長山です。
滞り現象が畳み掛けられているようですね。
たいていこのような場合、とばっちり喰らった、運が悪い、なんで自分に? と被害者意識になってしまいます。さらに「何度も無職になってしまう」という、自分の意志ではないというコトにしておいて、いったん考えるコトを終わらせているようです。
無自覚にこの現象を自ら創ってるとしたら、ナニが根底にあると思われますか?
そこに向き合わない限り、ずっと被害者意識でいる(楽だから)ことになり、被害を受ける現象から逃れることができないままになりますので、まずそのあたりを受け取ってみてください。
ご回答ありがとうございます!
実は、しばらく働かずに過ごしたいという心の底の願望が叶った形でした。
同時期、恋愛でも滞りが多発していまして、おかしな人ばかり出会い、一人と無理やり付き合って最悪の別れ方をしました。
それがはからずも、未練がある元彼の魅力を再確認するきっかけになりました。
なぜかその元彼と今度会うこととなりました。
こんな年齢で無職だとか、元彼に思いを馳せるだとか、情けない、、と自分を抑圧していましたが、ここは観念して、本音と向き合うのがいいでしょうか。
職場の人間関係で悩んでいます。私は職場で友人を作ろうとは思っていませんが、それなりに仲の良い同僚がいた方が楽しくなると思っています。まずこの思い込みが問題なのかもしれませんが、仲良くなった同僚から必ず甘えられ、依存されます。多くの業務を振られます。私も親しくなると断りづらくなります。お互いにサポートし合うような関係性を望んでいるのですがうまく行きません。結局こじれてしまうので、今はどの同僚とも特別仲良くならず、業務の話だけをして距離をとっています。職場とはこういうものなのかもしれませんが、正直少し悲しいです。何かアドバイス頂けますと幸いです。
杉田さん、こんにちは。長山です。
外に起こる現象を見て内側を知るのが自然の法則です。
この原理でいうと「職場で友人を作ろうとは思ってません」とされてるので、「どの同僚とも仲良くならず」という結果になっていると思われます。
「それなりに仲の良い同僚がいた方が楽しくなる」というのは、杉田さんの都合(手段)ですので、都合が悪くなったら「解消される」流れになるのだと思います。
まず、「やり方」ウンヌンではなく、なぜ職場で友人を作ろうとは思わないのか、そのあたりを掘り下げられたら本質が視えてくるかもしれませんね。
長山先生のご発信から心の仕組みを学ばせて頂きながら、自分の心と対話をこころみたり感情を体で感じることもさせていただいております。昔から心理学や心のことに関心があるほうと思ってきましたが、かなり自分を蔑ろにしてきたことに気がつけました。ありがとうございます。
ブラックミーの言い分を時間のある時にノートに書き出しています。最初はいじめっ子みたいな攻撃的だったのが、次の日には怯えたいじめられっ子みたいになってて、オセロみたいで不思議です。
また最近は、感情の体感が前より感じられるようになってきたので、感じ切りたいのですが、そうすると別の感情(もしかしてエセ感情でしょうか)が「私も!私も!」と出てきてしまって、ひとつの感情に集中できません。
その時にもなるべく体で感じようとすると、大抵割り込んでくるのは罪悪感で、罪悪感の体感はいつも同じパターンで、外側からの力で体が圧縮される感じです。肩を両端から内側に折り込まれたり、上から地面にめり込まさせられたり、ボールのように大きな手で丸く圧縮されたりと。
罪悪感は根が深そうなので、繰り返されても感じ切れないことに焦りはありませんが、これは「感情解放フェチ」状態、、なのでしょうか?自分では体感のつもりですが、ドキ、とか、ザワっというよりイメージ的な気もしてご教授いただけたらとお邪魔させていただきました。
Rippleさん、こんにちは。長山です。
「体験と論理」の両輪で、たくさんの気づきを得られているようですね。
これまで自分を蔑ろにしてこられた期間が長い場合、自己受容にじゅうぶんな時間と労いをかけ、「自己一致」していくプロセスが必要です。
割り込みがあったりジャッジがあることは否めませんし、すぐ答えがでるものでもありませんので、今の意識段階では「これが必要」と認識しながら、意識を広げ高めていくことを優先させられたらいいですね。
長山先生、お忙しい中丁寧なお返事ありがとうございました。
本当に長い間、蔑ろにしてました。感情が大事とかインナーチャイルドとか勿論知ってたのに「知ってただけ」「やってるつもり」だったようです。
今日も、頭では自己否定の感情が出てるのに体感は感じられなくて、ブラックミーの「感じるな」を受け入れて、自分に向かって「感じるな、感じるな」つぶやいたら、逆説的に胸で「ドキドキドキ」とはじまって、座布団とお茶の意味をしれました。
理論を学び、体感し、理論を理解して、また体感に行かすんですね。
私は元来かなりの感覚派でそれで痛い目に何度もあって理論を貪ってきました。自然の法則を知り、やっとまた感覚の世界に戻れてきました。戻りたい戻りたいと思ってきたのに何をしても戻れなかったのに。それも必要だったんでしょうね。
自己一致、焦らず目指して行きたいです。新作動画楽しみにお待ちしております。ありがとうごさいました。
私は転職回数が多いです。職場ではとにかく役に立とうと必死に頑張ります。ですから評価はされるのですが、小さなことで自分が大切に扱われていないと思った瞬間、やる気を失ってしまいます。こんなに頑張ったのに安月給で働かされて割に合わない等々、不満が溢れてきて職場を去ります。人間関係でも同じです。相手から少しでも粗末に扱われたと感じると、愛情が一気に冷めます。そしてその人から距離をとったり、その人から去ります。先生の動画を拝見し、自分には空虚感、無価値観があると知りました。それでも頑張りすぎるところは治りませんし、相手からそれ相当の見返りを求めてしまいます。このループから抜け出すにはどうしたらいいでしょうか。
のっぽさん、こんにちは。長山です。
「こんなに頑張ったのに…」と、割に合わない、大切に扱われない、しかし頑張りすぎるという悪循環は、自己不一致があまりに大きく、それを感じないための「頑張り=刺激」だと思われます。
とにかく受容、抵抗しない、努力しない、まずは「ゆっくり」するのがいいのですが、それをやるとさらに「不安が増す」というのもあり、難しいですよね…
まずは「構造」を理解してみてください。わからない状態が一番不安ですから。
長山先生、こんにちは。先週、嫌なことが立て続けに起こりました。自分の意見を聞いてもらえなかったり、無視されたり。こんなときは感謝が足りないからかと思い、ポジティブなことに目を向けたところ、職場の席がいい場所にあり、周りに座っている同僚も優しいのでその事に感謝しました。すると次の日、突然席替えをする事になり、一番居心地の悪い場所で、且つ一番嫌いな同僚の隣の席に移動させられました。これは一体どういったお知らせですか。私が自分の意見や希望を無視しているということでしょうか。確かにやりたくもない事をやっています。でも、それをやめたら無職になったり孤独になるので、現実的ではありません。本当はやりたくないという本音には気づいていますが、状況が変わらないのは、何か今ひとつ理解できていないのかと思います。アドバイスいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。
かな子さん、こんにちは。長山です。
「嫌なことが立て続けに起こる」と、感情が揺さぶられますよね。
それは、コップ(心の器)の水(感情)がいっぱいになって「あふれて出た」ということですので、その感情を処理しないまま意識をそらし(ポジティブなことに目を向ける)ても、あふれる感情の延長線上に「嫌なコト」が続く、という流れのようです。
やりたくない事をやってる、本当はやりたくない、という本音に気づいているなら、その本音の奥にある感情や本心を無条件に「存在」させてあげられたらいいですね。行動と存在は別なので、実行する/しないに囚われないでください。
ご回答ありがとうございます。
本音の奥にある感情や本心というのは、やりたくない理由をさらに深堀していけばいいのでしょうか。現在の仕事や今学んでいることは、正直私は全く興味のない分野です。しかし、将来仕事に困らないであろう、お給料が上がる、そういった目的で行っています。本当は芸術や文化に携わりたかったのですが、そういった職業に就くことはできませんでした。その悲しみをただ感じとるだけでいいのでしょうか。
全く興味のない分野をやれる、つまり「条件」優位で生きられるほど、「感覚」をマヒさせ守ってこられたように見受けられますので、今は感情を感じるとか、意味を分析する前に、すべてを「受容」する段階だと思われます。
望ましくないことが目の前にくる「不一致」を元に戻すには「受容→共感→自己一致」の順なので、感情を感じる前に徹底的な「受容」が必要です。
お返事ありがとうございます。これって結構重症なんですね。受容することを心掛けます。
ぜひ今度、受容について動画で解説していただけますと幸いです。
シンボルランゲージのブログとYouTubeで勉強させていただいております。
質問させてください。
昨日、駅の近くの混雑したところで、前から来た男性と軽くぶつかった感じがあり、電車の中では女性のカバンが私の膝にコツンとぶつかり、衝突することについて気になってしまったので、何か意味合いを教えていただけましたらありがたいです。よろしくお願いします。
彩月さん、こんにちは。長山です。
「ぶつかる」「衝突」=「接触」がテーマかと思われます。
特に「膝」の接触は「ひざを突き合わせる」=向き合うという意味もありますので、ナニか気になる事を先延ばししてるのかもしれませんね。
とはいえ、「接触と衝突」ではだいぶイメージが異なりますので、向き合って「触れ合う」コトはできても、衝突し「争う」のは勘弁してほしいですしね。
衝突の先にある「不快」を避けたい気持ちの奥にある、「痛み」や「課題」に目を向けられるといいかもしれません。
「現実を視る」トレーニングです。
いつもyoutubeやブログ等拝見させていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。
質問させていただきたいのですが、
以前から上の階の騒音に悩まされております。
それは耐えきれず引っ越しても同じで、新しく引っ越した先でもやはり上からの騒音(子どもが騒ぐ泣き声、怒声、激しい足音など)があり心身ともに疲弊してしまいます。
騒音があった際にまず感じるのは激しい怒りで、
自分の内面が外の現象を創造するのだと思い、
感情と向き合ったり感じたりしていますが、現実は依然として変わりません。
何か見落としていること、もしくは他にすべきことがあるのでしょうか。
和田さん、こんにちは。長山です。
感情の生起は、過去「感じ損ねた」モノが出たがってる現象なので、騒音によって湧く「怒り」を出したいという構造です。
第二感情である怒りの奥にある第一感情はたいてい「悲しみ」「落胆」「無力感」が多いですが、それらに触れたくない「ナニか」があるかもしれませんね。
それを回避する「隠れ蓑」として「騒音」が役に立ってるとしたら、いつでもどこでも「もれなく」付いて回る「お守り」になります。
まずはそのあたりの「しくみ」を受け取ってみてください。
※騒音問題について過去この掲示板でも数件質問がありましたので、そちらの回答も参考にされてみてください。
お忙しい中、ご回答いただきありがとうございます。
仰る通り、怒りの奥に無力感のような感情がある点については心当たりがあります。
ただ、その部分がかなり根深い感覚でもあり、しっかり向き合いたいと思っています。
一方で、怒りははっきり自覚できるのですが、無力感は全く表層に出てこないため、どのように扱えばよいのかが分からない状態です。
そのような場合、無力感に気づき、向き合っていくにはどのように進めていけばよいでしょうか。
「無力感は全く表層にでてこないため」→表層に出てこないために「怒り」や「騒音」で長らく紛らわせてたのですから、自覚できなくて普通です。
それは「無力感を探さない(触れない)で!」という自己防衛からなので、ムリに向き合う、感じようとするのはかえって逆効果です。
怯えた保護犬と接するかのように、静かに遠くから「そっと」寄り添ってみてください。意識しただけで自己信頼が復活し、ナニかが動きだしますので。
ご丁寧にありがとうございます。
無力感を探さないでというお話が、とても腑に落ちました。
私はずっと「感じ切らなければ」と思って無理に向き合おうとしていた部分があったので、かえって逆効果になることもあるのだと気づかされました。
これまでの私は、自分の感情に対してどこか「早く出てきて」「ちゃんと感じなければ」と急かしていたのかもしれません。
まずは無理に掘り起こそうとせず、静かに意識を向けるところからやってみます。
ありがとうございました。
You Tubeを拝聴し学ばせて頂いております、武山と申します。よろしくお願い致します。
お尋ねしたいことがあります。
平気で頻繁に嘘をつく知人が身近にいるのですが、小狡いやり方で次々に目標を達成しく様子を見て苛立ちを覚えます。
頭脳明晰な点は尊敬していますが、やり方にはドン引きすることが多々あります。
この様子にかなりザワつく自分は何に気づく必要があるのでしょうか?
そのやり方で成功して喜びはあるのだろうかと正直感じております。
武山さん、こんにちは。長山です。
武山さんの状況が分からないので憶測にはなりますが、
「小狡いやり方、平気で嘘」で目標達成する様(さま)をみてイラつくのは、
「ずる賢い」を許せないのでは?
なぜなら自分は我慢してる、とか思いっきりやれてないから、かなと。
過去、やりたい放題やって痛い目に遭ったか、そうなった人を見たか、
いずれにせよ、自分は「正道を行く」と決めているとしたら、
その道じゃない(邪道)を見るのはイラつくと思います。
おそらく武山さん自身がバーンと弾けてみたら、何か景色が変わるかもしれませんね!
早々にご返信くださってありがとうございます。
過去、やりたい放題やって痛い目に遭ったか…
仰る通りで、その後、自己否定的になり、窮屈な生き方をしています。
その知人はずる賢さはあっても、「その人らしさ」は表現されていて、自分は「自分らしさ」を見失ってるので、その辺りにもモヤモヤするのかもしれないと、長山さんのご返信を拝読しながら感じました。
バーンと弾けてみたいと思いました。説明不足の中、丁寧なご返信をくださりありがとうございました。
→その後、自己否定的になり、窮屈な生き方をしています。
やはり、そうでしたか。
痛い目は「行為・結果」に対してのモノなので、武山さんの「存在」そのものはただ「体験」を積んだということですから、ぜひ弾けて解放されてください。
※先ほどお名前を間違えておりました、失礼致しました。(修正してあります)
あたたかいご返信をくださり、ありがとうございます。
長山先生の「体験」というお言葉で、過去の過ちを「失敗」「思い出したくない出来事」と否定して、「体験」から学ぶという視点がまったくなかったことに気づきました。
時々、何かに反応して反射的に起こるモヤモヤとした体感も、向き合ってこなかった過去の「体験」なのかもしれない、と思えてきました。
これからもYou Tubeの動画や先生の書かれる記事などで勉強させていただきます。
質問にお応えくださって、本当にありがとうございました。
お世話になっております。
自然の法則で「お金ではなく、純粋な動機ではじめたものはうまくいく」というものがあると思います。
この内容がイマイチ自分の中で把握できなくて混沌としています。
そもそも上手くいってたり、社会的には成功している人って全部が純粋な動機で始めた人たちばかりなのかと思ったときに必ずしもそうではないと思ったからです。
もちろんお金の不安からスタートして、そこからお金持ちになった人はいつも不安を抱えている人も多いような印象もありますが、例えばお金に困っているときに自分では乗り気ではなかったけど、他人のすすめである仕事をしてみたら自分に向いていてどんどんうまくいったというのは、純粋な動機とはちょっと異なった状態のように見えますが、こういった場合でも純粋な動機に含まれるのでしょうか?
また、人間はみんなお金以外の純粋な動機ではじめたものはすべて成就するのでしょうか?お金を動機としなければ、必ず仕事になるという拡大解釈もしてしまったりして、この辺の内容の整理がまだ付かない状況です。
おそらく最初の解釈の段階でちょっとズレている可能性があると思っていますので、この部分をできる限りで構いませんのでご教示いただければ幸いです。
ヒデさん、こんにちは。長山です。
まず、モノゴトを「関係性、全体性」で「視る・観る」ことを前提にとらえると分かりやすいかもしれません。
スタートとゴールは一緒ということを三次元の時間軸で考えると混乱しますが、「はじまり/終わり」は「同時存在」です。
動機が不自然(分離・欠乏)で結果がよろしくない方向に行きそうになったら、動機を仕切り直せばいいのです。
ご質問のような例でも
動機がふわっとして「流れ」ではじめ、のちに楽しくなったら、その時点で「それ」が動機となって結果に表れることもあるし、逆も然り。
この辺りは動画「意識の切り替えパターン」
https://symbollanguage.jp/2026/01/17/1-144/
をご覧ください。
あと言えることは、欠乏を背景(例としてお金を目的)に出す欲はすざまじいフォース(力技)なので、一時的には成果が出ますが、長く続くかどうかは疑問です。
またフォースだと、仕事は成功しても「家庭は残念」、というケースが多く、このアンバランスが不自然です。
いずれにしても「今ここ」意識が大切ということです。
ご返答ありがとうございます!
確かにお金の動機の力は強いですけど、なかなか長くは続かないことはなんとなく思ってました。
ただこういう方も仕事の過程でどこで気づくかは人それぞれだけど、何かしらのトラブルなどのお知らせで動機を見直したり修正したりしてるかもしれないというのは考えてなかったです。
また、お金を動機にしてもなかなかうまくいかない人は、そもそもそのフォースをうまく活用できない体質の可能性があり、その場合は初期の段階から純粋な動機に比重を置く方がスムーズにいく可能性がありますでしょうか?
余談ですが、みんながみんな純粋な動機のみで動いているだけだったら、原子力発電所なども感覚で動かしてしまってもうまくいくという極端な理論に偏りたくなってしまうと思ったので伺いました。
(これが巷にあふれているスピリチュアルの悪いところだと思っています)
感情を感じ切ることは大事ですが、別にそれは頭で全く考えなくていいということではないし、頭で考えてくれた人がいるから今の私たちの便利で安全な暮らしが成り立っていると思っているので。
「お金を動機にしてもうまくいかない人は…」というか「欠乏を動機で」はじめたモノは、成果が出ても「欠乏感」は無くならないので、体質ウンヌン以前の問題だと思います。
つまり「フォース」をうまく活用できても、充足感が得られないから長続きせず(させず)、無意識に終わらせるというしくみです。
「純粋な動機のみで動いてるだけ」というのも、純粋(自然という意味)な動機(あり方)であれば純粋な思考(やり方)がセットで存在するので、想いだけ独り歩きすることはありません。
そのあたりは
「感情と思考の立ち位置と順序」
https://symbollanguage.jp/2025/12/19/1-142/
をご覧くださると理解が深まると思います。
ご返信ありがとうございました。
ここの分野は、単にひとくくりにできない分だけ本当に面白いところですね!
私も変な解釈をしないように気を付けながら実践していきます。
長山さん、こんにちは。質問をお願いします。
車に鳥の糞が落ちている、お客さんが唾をつけたお金を渡してくる、部屋にゲジゲジが出るなど、強烈に「汚い!」「気持ち悪い!」と感じる事が何度も起きているのですが、どんなお知らせでしょうか?
よろしくお願いします。
高橋さん、こんにちは。長山です。
「汚い」「気持ち悪い」って不快ですよね。普段から極力「不快」を回避する傾向にありますか?
もしそうであれば、避けるほど「向こうから」やって来るので、そのあたりの奥にある触れたくない感情に問いを立ててみてください。
集中した不快という「刺激」で気を逸らす必要が少なくなるかもしれません。
長山さん、ありがとうございます。
確かに、昔から「嫌だな、面倒くさいな」と思う事は、出来るだけ避けてきていたと思います。
今も毎日、仕事に行く事や日々の生活が面倒くさく、休みの日でも自分に向き合う余裕がありません。
何も良い事がない中で、不快な感情は受け取らなければ繰り返されるというのは、とても苦しいのですが、少しずつでも感じた方が良いのでしょうか?
高橋さん、こんにちは。長山です。
毎日がシンドイ、日々の生活が面倒くさい、余裕がない等、感情蓄積バロメーターでいうところの「感情を感じる段階にない」ようにみえます(実際の状態が分からないので何とも言えませんが)。
そんなときは、ゆっくりするだけでいいのです。
「不快な感情は受け取らないと繰り返す」と考えただけで「苦」を感じるようなら、それは強迫観念になりますので、ひとまず横に置いておきましょう。
いまは、ただ「自分と一緒にいる」、疲れた~、メンドクサイよね~とそのまま存在させて流してみてください。
すると、外の刺激的な「不快」で気を紛らわす必要などなくなってきますので。
長山さん、ありがとうございます。
おっしゃるように「嫌な感情を受け取らなければ」と考えて苦しくなっていましたが、それなら無理せず出来そうなので、ただ素直に今の自分に寄り添いたいと思います。
シンボルの読み解きについておたずねします。
今日2匹の蜘蛛を逃しました。
1匹目の時は何とも思わなかったのですが、数分後に今度は洗濯機の中に居て、少し引っかかりました。
家蜘蛛は悪いものじゃないという認識なので、たいていはそのままにしてるのですが、今日は何となく1匹目を逃して、2匹目は洗濯機の中だったので、放っておいたら大変なので勿論逃しました。
この出来事の前日に、レジェンドとレッテルのお話を見返してて、自分はミイラ取りがミイラになったようなものだな、と考えてました。
然学を知る前に、私は自分の心と向き合おうと取り組んでたした。
すると隠してきた部分が段々と表に出に出てきて、それで終わりにならず、やがてそれが自分の本体のように感じられ、これまでの人生は虚飾だったと崩れ去ったようになりました。
レッテルのことを知らないとこういう袋小路に入ることがあるのでしょうか。
解釈ですが、蜘蛛は人生ドロボウの象徴でしょうか。
今までは小蠅を食べてくれる益虫と野放しにしてたけど、然学に触れ、家(心)から出した。
そうだったらいいな、、という感じです。
どう読めるのでしょうか。
うどんさん、こんにちは。長山です。
まず、シンボル(合図)を読み解くにあたり、正解/不正解はありません。
周囲に鏤められる現象が気になり拾い、それを「どう感じ」どう「思った」という、内なる直観の「応え」が「答え」です。
頭(思考)→五感→第六感(直観)と意識を広げていくことがシンボルを読み解くコツなので、うどんさんが感じたモノ思ったコトを受容してみてください。
蜘蛛→苦も意図あり、ですから。
長山先生
ご多忙の中、お早いお返事感謝申し上げます。
シンボルの読み解きも、自己受容なんですね。
在り方の難しさを感じてましたが、受容意識が抜けているから「やり方・正解探し」になるのですね。
「蜘蛛→苦も意図あり」
本当にその通りですね…
免罪符という表現を動画で仰られてましたが、まさしくでした。
蜘蛛を野放しにしてたのは、免罪符が欲しかったんですよね。
常に欲してます。
今もこの瞬間も。
その自分をまず受容したいです。
ありがとうございました。