「なぜ、日本の子どもは
異常なくらい【苦手】意識を持つのか?」
15年ほど前
シュタイナー農法を体験したくて
南米アルゼンチンへ渡ったときのこと。
現地でお世話になった知人の娘さん(22歳)が
発した言葉が、今になって頭をよぎります。
日本人のご両親が南米に移住後
アルゼンチンで生まれた彼女は
ブエノスアイレスにある
創業70年(当時)のシュタイナー学校
を卒業しました。
個性を重んじられながら育った彼女と
個性など関係なく一律的な教育で育った
日本のいとこ達との違いを
帰国時に彼/彼女らと接するたび
感じた違和感を話してくれました。
「苦手」=「卑屈」になる必要はないのに、と。
こんにちは。
ニュートラル・ナビゲーター 長山 恭子です。
今回は存在価値と「自信」について考えてみます。
「自信」とは、
自己信頼があることで
自己に対して「無条件」で信じる心
すなわち「信頼」があるという状態です。
それは「条件」付きの
「信用」とは違い
自分が
ナニかできても出来なくても、
得ても失っても、
勝っても負けても、
好かれても嫌われても、
たとえ他から
「無能」扱いされたとしても
自分には
【その状態を取り扱える「力」があると信じる心】
のことです。
ヒトは生まれてナニも出来ないところから
転んで痛みを感じ、
失敗しては悔しい思いをしながら
「成長」していくイキモノです。
この、痛みや悔しさの体験を
成長の糧にする以外
「苦」として避ける対象にしてしまうと
「克服」することに躍起になり
一見「自信」に満ちたようにみえるも
厄介な「自意識過剰な劣等感」が
育ってしまいます。
で、だれかや過去の自分と比べたり
「それ(克服力)」ナシでは
存在価値がない、などと錯覚します。
子どもの個性・特性をできるだけ活かそうとする
北欧(フィンランドやスウェーデン)や
シュターナー教育、イエナプランなどを
取り入れている学校では、
一般的スクールで行われるテストや成績表は
存在しないと聞きます。
ナニが好きか嫌いかもわからぬような年齢から、
成績の優劣で存在価値が問われたり、
子ども同士マウントとった/とられただの、
要らぬ弊害が生じるのを防ぎます。
「身体」が育つ(歯が生え替えはじめる)7歳までと、
「感情」を育む思春期を迎える14歳までは、
自己確立の大切な時期とされています。
そんなときに
委縮・怯え、競争、わがまま放題
過保護(失敗させない)、卑屈
などのコントロール下で育つと、
欠乏(錯覚だが)意識から
「無力感」に苛まされることにもなりかねません。
むろん「現在」はまだ
二元性優位の余韻を残す時代ですから
「このような」宿命(役)をこなす
環境にあるのは否めません。
しかしてそんな「欠乏」体験は
人生「前半」にサッサと済ませ、
「後半」は反対側を
セットで完成させる筋書になってます。
なのに、後半まで「無力感」を引きずってたら
人生「から騒ぎ」で終わってしまいます。
大人になっても虚無感が
拭い去れないとしたら、
自己(他者)への
信頼欠如によるものかもしれません。
もし人生「前半」に
「苦悩」や「束縛」
「不安」や「絶望」を感じてきたなら
後半は
「喜び」や「自由」
「安心」や「希望」を体験するハズです。
大人である以上
前半を超える「力」は
じゅうぶん備わってますので
安心して自身を信頼してあげましょう。
だれもが
自分と「つながる」醍醐味を味わえます♪
「苦手」意識はどんなにあってもいい。
ただし
それが前進できない理由にはなりませんよ。
より詳しく知りたい方はメルマガ登録の方をお願い致します
シンボルランゲージが提供するサービスについて
インド占星術(ジョーティッシュ)リーディングはコチラ
また、質問・ご相談はお気軽にどうぞ。(メルマガが届くアドレスに送って下さい)
この記事へのコメントはありません。