ジェラシー「嫉妬」
嫉(そね)み、妬(ねた)みの恨(うら)み節(ぶし)。
「する側も、される側」も、
あまり表立って出したくない
感情ですよね。
根本には
複雑なモノが絡んでいるにしても
とにかくコントロール不能な悩ましい
「感情」ですから、
すぐには乗り超えられないものです。
であれば
「しくみ」だけでも知っておかないと、
嫉妬の「炎」で
心が焼き尽くされかねません。
こんにちは。
ニュートラル・ナビゲーター 長山 恭子です。
今回は
結構ヘビーで逃げたくなる、
しかして向き合うとなると
姿勢を正し「真剣」になるテーマです。
嫉妬は周知の通り
自分に「ない(勘違いですが)」
モノや状態を持っているヒトに抱く
「怒り」の一形態です。
「いいなぁ」を通り越して
「なんでアイツが?」
「おかしくね?」
「ズルい」
「卑怯者」
など、いくらでも腹黒い言葉が
湧き出て胸ぐらを掻きむしりたくなります。
なぜ「怒り」になるかというと
自分にも「ある」のに
素直に認められない、
出せない。
一番は
自身に「チャレンジさせてあげない」
卑屈な「ねじれ」が、
般若の面(はんにゃのめん)のごとく
鬼のような
「嫉妬」へとつながるのです。
「般若心経」でも知られる
「般若」とは、
パーリー語のパンニャー(智慧※)から
由来する、鬼とはかけ離れた語源です。
※智慧(普遍の真理)と
知恵(条件により変化する心理)は違う
しかして
能楽のお面でみる「般若面」は
鬼の形相をした「怖い」
イメージがありますが
よくみると「面」は
ただ怖いだけではなく、
顔の上下で鬼女の心の
「二面性」を表すのだという。
怒りの「裏」に隠れる、
不本意ながら「鬼」になってしまった
「恥ずかしさ」や「後ろめたさ」、
「情念」に翻弄されてしまった
人間の「悲しさ」や「切なさ」です。
すなわち奥底には
自分が
「大切」に扱われなかった
深い「哀しみ」があるのです。
それは、紛れもなく
「自分が自分を」
蔑(ないがし)ろにしている
ブラックミーからの
「怨念」です。
嫉妬でいうと
やりたいのに、
やらせてもらえなかった・・・
という、
自分への恨みですから
他をどんなに攻撃し憎んでも
自身からの
「逆襲」は増すばかりです。
なので
「ムラっ」と嫉妬の炎が上がったら
座布団とお茶を出し
リトルミーの話をじっくり聞くのです。
悲しかったね・・・
つらかったね・・・
わかるよ~
でも、それ
すべて「錯覚」だからね!!
「だまし絵」をみて驚き、
泣き叫ぶのは
無知な「子」がすることで
さっさと
智慧(本質を知る)を身に付ける以外
この世界から
解放されることはありません。
では
嫉妬する者の正体は
「それ(錯覚)」だとして、
同じテーマを持つ「される側」は
ナニも
悪いコトしていないのに
妬まれたり、悪口いわれたり
足引っ張られたり、、、
たまったモンじゃないですよね。
次回は
「反対側」の立場をみていきましょう。
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