●最後まで見届ける「勇気」 現実をみろ!
「わたし、ドラマの最終話が見れないんです…」
え! ふつう【結末】が一番知りたいのに?
・スポーツ観戦で勝敗結果が見れない
・ヒトの話を最後まで聞けない
など、そもそも
やり始めたことを最後まで
「ヤリきらない」ことが多いのは
なぜでしょうか?
こんにちは。
ニュートラル・ナビゲーター 長山恭子です。
ヒトは、見たいものしか視ないし
聞きたい事しか聴かないイキモノです。
自分が思い描く
「許容範囲内」なら受け入れられるが
想定外なら
どうしていいか「わからない」不安からです。
なので
「だらだら」やるか
「強制終了」させるか
「あいまい」にしておくか
「妄想」を勝手に作り上げるか
「無かった」ことにして忘れ去るか
で処理するしかないらしい。
これだと
同じテーマを何度も「エンドレス」に
繰り返すことになります。
しか~し!
目的を達成したいなら、現実を視ろ
問題解決したいなら、現実を観ろ
現実を「観ない」限り、一歩も進まないし
現実を「視る」ことでしか、現実は変わりません。
仮に自転車が壊れ直したい場合
天気がよくなかった、使う人が悪かった
歩けばよかった
など、故障個所を探すのでなく、
それ以外に目を向けていたら
どうやって直すというのでしょうか?
ではなぜ、現実が視れない?
「勘違い」からです。
そんな現実みちゃったら
一生「立ち直れない」と錯覚してるから。
まず「その」構造自体を
ぶっ壊す必要があります。
★現実を視るポイントは3つ
①「望ましくない出来事は、 誰にでもある人生劇場の一部であること」 つまり、 自分だけが不幸の「ババを引いてる」わけじゃなく、 一時的なスパイスだということ。 「ババ抜き」で「ババ」がないゲームってやる意味ありますか? |
②「どこに意識を向けるか」 ヒトの生存本能は危険を回避するため 「喜び」より「脅威」に注意を払うようになってるが 考えて「変わるもの」と「変わらないもの」を区別し、意味のある意識と時間の使い方をすること。 |
③「それは自分を『傷つける』行為か 『助ける』行為かを区別すること」 行為の反省は、次に活かすことにつながるが、 他責・自責という「存在」に対する自虐行為はナンの意味もないから止めること。 |
以上を踏まえ、
「現実をみる」意識を培うことで
明るい未来が開け、現実的な道がみえてきます。
最後まで希望を捨てるな、あきらめるな!
という、まことしやかな現実逃避の言葉に
どれほど振り回されてきたことか。
負けた
もう終わる
わたしの能力不足
今回わたしは選ばれなかった
悲しい
悔しい
みじめ
そうだね~
これが現実だね…
…さ、次に行こ♪
こうして感情を終わらせることによって
不要な恐れを残さないので
かってに「コト」は流れていく。
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